致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 23 「お母さんの力」

東井 義雄 教育者

 長崎に、原子爆弾が落ちました時、当時、十歳であった萩野美智子ちゃんの作文。

 雲もなく、からりと晴れたその日であった。私たち兄弟は、家の二階で、ままごとをして遊んでいた。その時、ピカリと稲妻が走った。あっというた時にはもう家の下敷きになって身動き一つできなかった。(大きいお姉さんが水平さんを呼んできて、美智子さんは救出されました。しかし・・・)

 その時、また向こうの方で、小さな子の泣き声が漏れてきた。それは二つになる妹が、家の下敷きになっているのであった。急いで行ってみると、妹は大きな梁に足をはさまれて、泣きくるっている。四、五人の水平さんが、みんな力を合わせて、それを取り除けようとしたが、梁は四本つづきの大きなものでびくともしない。水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。よその人たちが水平さんたちの加勢を頼みに来たので、水兵さんたちは向こうへ走って行ってしまった。お母さんは、何をまごまごしているのだろう。早く早く帰って来てください。妹の足がちぎれてしまうのに・・・。
 その時、向こうから矢のように走ってくる人が目についた、頭の髪の毛が乱れている。女の人だ。裸らしい。むらさきの体。大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。ああ、それがお母さんでした。
 「お母ちゃん」私たちも大声で叫んだ。あちこちで火の手があがり始めた。火がすぐ近くで燃え上がった。お母さんの顔が真っ青に変わった。お母さんは小さい妹を見下ろしている。妹の小さい目が下から見上げている。お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方を見まわした。
 やがてわずかな隙間に身を入れ、一か所を右肩にあて、下唇をうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。パリパリと音がして、梁が浮き上がった。妹の足がはずれた。おおきい姉さんが妹をすぐ引き出した。お母さんも飛び上がって来た。そして、妹を胸に固く抱きしめた。
 しばらくしてから思い出したように私たちは大声を上げて泣き始めた。
 お母さんは、なすをもいでいるとき爆弾にやられたのだ。もんぺも焼き切れ、ちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。髪の毛はパーマネントウェーブをかけすぎたように赤く縮れていた。体中の皮は大やけどで、じゅるじゅるになっていた。さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ皮がぺろりとはげ、肉が現れ、赤い血がしきりににじみ出ていた。おかあさんはぐったりとなって倒れた。お母さんは苦しみはじめ、悶え悶えてその晩死にました。

 これは、特別力持ちのおかあさんだったのでしょうか。四人も、五人もの水平さんが、力を合わせてもびくともしなかっいものを動かす、力持ちのお母さんだったのでしょうか。皆さんのお母さんも皆さんがこうなったらこうせずにはおれない。しかもこの力が出てくださるのが、お母さんという方なんです。