ラマナ・マハルシとの対話より 31ー7 

・・・つづき

 スカンダアシュラムに暮らしていたころ、私はときどき外に出て、よく大きな岩の上に座ったものです。あるとき、ランガスワミを含めた二、三人が私とともにそこにいました。突然、私たちは小さな蛾のような虫が、岩の割れ目からロケットのように飛び出してきたことに気づきました。するとまばたきをするほどの短い間に、それは数百万にも数が増え、雲のように空を覆ってしまったのです。何とも不思議に思って、私たちは蛾が飛び出してきた場所を調べに行きました。私たちが見つけたのは、わずか針の穴ほどの小さな隙間で、ほんの一瞬の間にあれほどの数の虫たちがそこから飛び出すことが不可能であるのは明らかでした。

 これがどのようにアハンカーラ(自我)がロケットのように飛び出し、一瞬のうちに宇宙として広がるかを表しています。
 それゆえ、ハートが中心なのです。人はけっしてそれから離れることはできません。もし離れたなら、その人はすでに死んでいます。
 「ウパニシャド」は「ジーヴァ(個我)は異なった機会に異なったセンターを通して機能する」と述べていますがそれでもジーヴァがハートを離れることはないのです。「他のセンターは単なる活動の場である」と述べています。

「6」「他のセンターは単なる活動の場である」「ヴェーダンタ・チューダマニ」

 ハートはすべての中心にあり、ジーヴァ(個我)は他のセンター(チャクラ)を通して活動する。
 牛が杭につながれているように、自己はハートに結ばれています。それはロープの長さによって動きを制御されながら、杭であるハートを中心にしてさ迷い歩くのです。
 イモ虫は草の葉の上を這います。そして葉の一番上まで来ると、別の支えを探そうとします。そうする間も、それは後足で草の葉をつかみながら、別の葉をつかむまで体を持ち上げて前後に浮かせます。自我の場合も同様で、それはハートの中にとどまり、状況にしたがって別のセンターをつかまえますが、その活動は常にハートを中心としているのです。