ラマナ・マハルシとの対話より 31ー2 

つづき

今もなお内在する潜在的傾向がサマーディの静寂を妨げないようにするには、生来のヴァーサナーを根絶しなければならないのです。そのためヨーギーはクンダリーニーを(スシュムナーの延長でしかない)ジーヴァー・ナディーと呼ばれる経路を通してサハスラーラーからハートへと降ろします。このようにスシュムナーは曲線を描きます。それは太陽神経叢から始まり、脊椎を通って脳に昇りつめ、そこから曲がって降りて行き、ハートの中に到達するのです。ヨーギーがハートに達したとき、サマーディは永久的なものになります。これでハートこそが最終センターであることが理解できるでしょう。

いくつかの「ウパニシャド」もハートから広がる百一のナディについて述べています。

「1」ハートから広がる百一のナディ
そこには101のハートのエネルギー経路が存在する、
その内の一つは頭蓋の頂点へと向かう。
この経路を通して上昇することで、不死(アムリタ)は到達される。
それ以外の経路はさまざまな方向へと向かう。
それらは死の扉、死に至る道である。

その中の一つが中枢生命のナディーです。もしヨーギーが言うように、ジーヴァが頭頂から入って脳の中に反映されるなら、そこには実際に反映する表面があるはずです。そしてそれは無限の意識を身体の領域に限定することができるに違いありません。つまり、普遍的な存在がジーヴァとして限定されるという事です。

 そのような反映の媒介は個人のヴァーサナーの集合によって構成されています。それは対象物のイメージを映し出す壷の中の水のような働きをします。もしも壷の中の水を捨て去れば反映はなくなります。そうなれば対象は反映されないままでしょう。ここに言われる対象とは、すべてにあまねく存在し、それゆえすべてに内在する「普遍の存在ー意識」のことを意味しています。それは反映だけによって認識されるものではありません。なぜなら、それは自ら輝くものだからです。   つづく・・・