2589「神さまの氣」2022.1.26 自分で自分を自分するから

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 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年01月20日記事を紹介します。

「神さまの氣」

このブログもお蔭様で、日々沢山の皆さんから読んでいただいています。

出来れば一つでも実践していただき、お幸せになっていただきたいと思います。

また、大変申し訳なく思うのですが現在コメントやメッセージを通じた個人的なご質問や、ご相談にはお答えできない状態です。

コメントに、お返事できないこともあります。

また、誹謗中傷を意図するコメントは削除することもあります。

エネルギーを、記事を書くことに専念したいと思うからです。

私も普段はIT関係の仕事をしており、仕事の合間に、こうやってブログを書いています。

お金儲けのためではありません。ライフワークとして、個人として書いています。

本当に申し訳ありませんが、ご承知いただけるとありがたいです。

さて今日は、神様の氣についてです。

大抵の神社では、お守りやお札に、そこの神社の神様の氣を入れてお配りしていると思います。

そして年月が経ち、ご自分で氣が抜けてきたと感じたら、お札やお守りを神社の古札入れなどに納めに行くと思います。

神社では、それをお焚き上げなどして、神様に元の神の世界にお戻りいただきます。

そうすると、お守りや、お札は、単なる物質になりますから焼却したりします。

ですから、例えば霊峰八海山の山開きのご神事などでは、終わった後

「神さまにお戻りいただきました」と宣言がなされます。

また、誤解されやすいこととして、御守りやお札に神様ご自身が籠っており、普段は沈黙し、いざという時に目を覚まして活動をする・・

というイメージではなく、神さまの氣に入っていただいたお札やお守りは、その神さまの依り代、直通電話のような働きをしており、神々は、もちろん、普段から人々のために、あらゆる場所、次元で自由闊達に働いているのですが、いざという時、必要に応じに、その電話を通じ、その場所、その人の所へいらっしゃるというイメージの方が的を得ているように思います。※個人的な意見です。

もちろん高位の神様は、どの場所、どの次元にも存在できますので、意識を向けるだけで、そこに移動できるようですが、氣を宿した依り代があると、より感度が上がり、通じやすくなるのではないかと思います。

次元が上がるにつれ、一時に同時に意識をフォーカスできる数が増え、たとえば、一説では、イエスの場合、同時に1万か所、意識を分散できるとのこと。

要するに、同時に自分の分身が1万か所で行動できるということです。

神様に降りていただくということは、春日大社 元宮司の葉室頼昭さんによれば、古式にのっとって、祝詞を上げたりご神事を行うことで、本当に神様がご降臨されるとのこと。

要するにテクニカルと言うことです。

その方法(技術)さえ正しければ、神職の方の人間性に、あまり左右されません。

本来は、清く正しい心の持ち主の神職の方がご神事を行ってくださればよいのですが、

同じ人間ですから、神職の方と言えど様々いらっしゃいます。

時には私たち一般人のように、欲望から様々な事件を起こし、新聞沙汰になる方もいらっしゃいます。

生きている間は分け隔てなく、どなたも心を清らかに保つために精進が必要ですね。

・心を振り返ること

・感謝の心を持つこと

・おかげ様、お互い様で、許しあうこと

大切なことです。

どうやってそれを見分けるのか?

それは、小林正観さんが仰っていたのですが、その方の、まわりにいる人たちを見ればいい。

まわりにいる人たちが、笑顔で幸せそうで、楽しそうに過ごしているか?

良き人は、見た目は普通の格好をしています。

そして、まわりには、笑顔で、幸せそうな人たちがいっぱいいます。

とてもいい仲間に囲まれている。

一方で、悪しき心の残る人は、過度に荘厳(そうごん)で、重々しく、威厳に満ちた姿、形、格好をしている人が多い。

そしてまわりには、笑顔で幸せそうな人はいない。

どこか不幸そうで、悲しく、まったく笑顔のない人たちに囲まれている。

とのこと。

確かにそうかもしれません。

このお話は、占い師の方について仰っていたのですが、神職の方も同じだと思います。

さて神様の氣 、私たちの意識も同じ働きができます。

意識を物や人に宿すこと、飛ばしたりも同じことです。

生霊とか、誰かに見られている気配がする・・振り返ったら誰かがこちらを見ていた。

これらは、意識のエネルギーが飛んだと言ことです。

また意識は、時間、空間の制約を受けませんから、自分自身の過去や未来に飛ばすこともできます。

子供のころ、車に轢かれそうになった。

どこからか「あぶない」という大きな声が聞こえ、助かった。

何十年かして大人になった時、夢を見た。

子供が車に轢かれそうになっているのを見て思わず声をかけてしまった。

よく考えたら、その姿は、子供のころの自分だった・・など

基本的には善意の神々は、この意識の力を、人々をお救いくださるために使っています。

有難いですね。

私達も感謝の心、人を思いやる気持ちなどで、周りにいらっしゃる方を、幸せなエネルギーで包み込むことも可能です。

また、その逆もしかり。