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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月15日の記事を紹介します。
「運は食生活で決まる」
今日はお祓いで竹之高地不動社に行ったところ、新しい年に入り、どんどん食に関して、
色んな人を介して「食」に関する情報が集中しだしているとのこと。
食は肉体を創る基本ですから
・身体のバランスをとること
・社会毒などのデトックス
・身体にとって必要な栄養素を補給すること
・身土不二(しんどふじ)「身と土、二つにあらず」、
つまり人間の体と暮らす土地は一体で、切っても切れない関係にあるということを正しく理解すること
今の状況下で大切なようです。
ですので今日は、以前書いたことがあるのですが、水野南北に関するお話です。
運をよくするのに、参考になるかもしれません。
「人の運は、「食生活」によって決まる」というお話です。
食生活を見直すことで、心を浄化し、運命を好転させる方法です。
「人の運は食にあり」小林正観さんのお話よりご紹介します。
<引用開始>
「食生活が、人相まで変えた」、江戸時代、水野南北という人がいました。観相家です。
宝暦7年(1757年)に生まれ、天保5年(1834年)77歳で亡くなりました。
江戸時代のこのころは平均寿命が40歳ほどですから、ずいぶん長生きだったといえます。
水野南北は幼少期に両親と死別、大阪のおじ夫婦に引き取られます。
10歳の時にはすでに酒を覚え、その後何年も、酒・ばくち・けんかに明け暮れる毎日でした。
18歳の時、おじの金を盗むなどして、牢に入ることになりました。
それまでに盗み、脅し、詐欺まがい、いろいろやったようです。
その牢内で、罪を犯す人間とそうでない人間に、人相上の違いがあると気づきました。
人には生まれながらのシナリオがあります。
後にすごい観相家になった水野南北でしたが、最初のスタートは牢内だったのです。
獄を出てから、自分の人相を易者に見てもらったところ「あと一年の命」と言われました。
「それを避けるには出家のほかはない」と。
知り合いの住職に相談したところ
「一年間、麦と大豆だけの生活をしたら入門を許す」ということだったので、
水野南北はそのとおりにしたのだそうです。
一年後、同じ易者は
「死相が消えているだけでなく、立派な相になった」と感心してくれました。
「その食生活が陰徳となって、人相まで変えた」と言ったそうです。
本格的に相を学ぼうと旅に出た水野南北は、髪結いに奉公3年、湯屋の奉公人になって3年、
墓守になって墓を守ること3年の日々を過ごします。
頭の形、生きているときの体の形と死んだあとの骨の形(骨相)などを研究しました。
さて、それほどに観相学に打ち込んだ水野南北でしたが、百発百中というわけではありませんでした。
どうしても例外がある。吉相だと思っていても、どんどん衰運になる人がいる。 逆に、とても貧相な人で興隆運の人もいる。
なぜだろうと悩んでいる時、突然ひらめきがあったといいます。それは・・・
「人の運は食にあり」というもので、人を占うのにまずその人の飲食の様子を聞いて、それによって運・不運を判断したところ、万に一つも誤りがないことが分かり、そこに気づいてからは、「百発百中、当たらざるなし」と言われました。
<引用終了>
自伝などによれば、水野南北は50歳の時、伊勢神宮の五十鈴川のほとりで21日間の断食と、水ごりの行を行いました。
その時です。外宮に祭られている豊受大神の啓示を受けました。
「人の運は、食にあり」
豊受大神といえば、縄文の女神、瀬織津姫。
日本一と呼ばれた水野南北でも、100%当たるとは行かなかったのですね。
貧相でも富んでいる人、福相でも運がない人。が居ました。
ある時、占う時に食べ物について聞いたのです。
すると、福相の人でも、お金が入ってから、食べ物を変えると、衰運になることがわかったのでした。
それ以降、百発百中の観相家となったのでした。
心当たりのある方は、いらっしゃるでしょうか。食生活で運が決まって来るのだそうです。
質素であっても、愛情を込めた食事。
暖かな心の交流を伴った食卓。
命を分けてくれた者への感謝の心、そんな気持ちでいただきたいものですね。