随想 伊路波村から127~社員さん旅立つ

連休明けの7日、社員さんのお父さんから
電話があった。

「あの・・・Tが4日の朝急に亡くなりまして、
6日に密葬を済ませました。」
あまりのことに絶句。

「もうお医者さんもびっくりするくらいだったんです。」
80歳を超えてみえるだろうお父さんが、
気丈に話す。

「何にもできなくて、ほんとにすみません・・・。
お父さんお母さんもだいじになすってください・・・。」
電話口のむこうで嗚咽が漏れた。

1ヶ月を過ぎる入院。
だけれどまさかこんなにはかなく逝ってしまわれるなんて。
ほんとに一体どうなっているんだろう。

彼は独身、56歳に今年の11月になるところだった。
楽しいことも少なかっただろうに。

15年間病弱で定期的に幾度か入退院を
繰り返していたけれど、とてもまじめで、
毎月のお給料日の日報には必ず、

「厳しい時代ですが、今月もお給料をいただけました。
ありがとうございます。」
と必ず書いてみえた。

特殊な性格の故か、社員さんにあんまり好かれて
いたわけではないけれど、黙々と偽りなく、効率的に
働く人でした。

あなた様によって多くの人が学びをいただきました。
私は社員さんが現役で亡くなるという経験を持ちました。
大きな体験です。

どうぞもうしっかりしなくていいですよ。

ゆっくりお休みください。

そんな風にお伝えします。

なくなる少し前に撮らせていただいた
ケイタイの写真。
すこしでも、よくなりますように、元気にまた
仕事に出てこられますように、
お祈りに持って行こうと思った写真が、
胸のポケットにまだあったのです。

随想 伊路波村から128~たまに

たまに
おととい、ひさしぶりに飲み会に参加。

経営者のみなさんのお話を聴いて、
たまには現実もいいなあと思う。(笑)

こちらから出る言葉も確認できた。
ちょっと気になる男性がいて、
だいたい一月に一度お話を聴きに出かける。
この前は3人で聞くところが、
一人が急にこられなくなって、
二人で聞いた。

あとで大須へ行って、お食事した。
お目当ての「健福」さんが、27日まで
お休みで、万松寺通りを西へ抜けた。
何年ぶりかのこと。

若者と外国の人たちが目に付いた。
また次のお目当てのところ「御幸亭」さんが
まだ開店前。
それで「キッチン ニュートーキョー」へ。

お食事をご一緒していただいた方は
もう9年ほど前にあって以来の知人だけれど、
二人だけでのお食事は始めて。

子どもさんは、おなかの中にみえるころから
知っている。(笑)
やっぱり二人だけでの話しや時間は
貴重だと気づかせていただく。
不思議な方と思っていたけれど、
やっぱり見ている・・・人だった。
この方はハープで一世風靡したKさん。

ケイタイが鳴って、兄が名古屋駅に到着するので、
大須でお別れした。

これから以後、ともに学べることは幸いと感じた。

その後名古屋駅で兄と会った。
「楽天」さんで二度目の夕食。(笑)
二年ぶりだろうか。
今年で66歳。

「あいさつ回りだけで半年かかるわ。」と笑う。
それから自分の働いている今度の職場の
優秀性を難しい言葉で続ける。

久々に兄貴らしさに触れる。
幼いとき、ともに言い知れぬ苦労をした二人だ。

父親代わりの兄貴の背中は丸く、
大変な思いをたくさんしょって・・・と、
後姿を見送る。

ありがとうお兄ちゃん。

たまに・・・の多かった一日。

たまにが、いいようです。

彼は11年後の2019年1月に旅立っている。

随想 伊路波村から129~みんな聞いている

「お世話になったから、
もうそのお礼ということで、
いいじゃないですか。」

少しもケイタイにでないという
お客さまへの対応を社員さんと
お話した。

すこし残った代金のことだ。
そんな話を取り交わしたあと、
彼はふたたび電話した。

そしたらケイタイに出られたお客さま。
2ヶ月ぶりだそうだ、出られたのは。

「あんな話をまるで聴いてみえたようですね。
境目がないですね、いのちって。」と声かけ。

そしたらその社員さん。
「実はこんな話があるんです。」と口をきった。

彼の友人のお話。
その友人は引っ越すからと、
古くからあった室内の「ゴムの木」を
もうほかそうと家族と話し合っていた。

そしたらその「ゴムの木」にみるみる元気が
なくなって、枯れそうになった。
これは大変ということで、鉢を大きくしたり、
好物のビールやミルクをあげたり
したら元気になった。

そんなことがあって「ちゃんとおまえも連れていくよ。」
って宣言したら、もうそのまま元気だったそうな。

「そうですよね、だから植物も机も
あらゆるものって繋がってますね。
そしてみんな聞いているから、
なるだけいい言葉を使いたいものですね。」
そんな今朝の会話だった。

自戒も込めていた。(笑)

随想 伊路波村から130~もし・・・

もし自分の娘だったら
どうするのだろうか。

沖縄でのお話。
もし韓国での出来事だったら
とっくにアメリカ大使館は焼け落ちている事だろう。

難題がいっぱいの ヤマト。
南大門の比ではない。(笑)

もし植林がなかったら
どうだろう 海はオゾンでいっぱい。?
山の川に氾濫はナシ。

私たちの 洗剤が 私たちの便利が
海を汚し 私達の頭の上から 酸性雨になって
教えてくださる。

たくさんの快適が 地球の悲鳴を聞くことができないように
しています。   やめられない・・・。

空気 水 動物達や気象の異常。
望んだとうりの世の中がきているのだけれど。
驚いては なんていう世の中だろうとつぶやく。

大地は次々に強くなった 農薬さんに
弱められてしまった。

食べ物は 薬品に同じ。
もたせることは 薬のような食べ物を
もたせることに同じ。

空気は汚れ 鳥は狂い 人間をも
狂わせる。

もう止めるときが 近づいたのだろうか。
闘わず 無償のすべてを 受ける人類。
それだけの準備が 整いつつある。
生きていてよかったと 思えるとき。
あなたも わたしも 縁ある人も。
みんな今 生かされて あるだけで
それだけで 感謝するときが来ている。

今日も。

随想 伊路波村から131~予防医学~すべての生命体に共通~  1

長野のSさんから本が三冊送られてきました。
いつもなにかと皆さんに無償で贈ってくださる
Sさんです。

それでその本を読ませていただきました。
結局は水なのですが、本の中に予防医学で
今までわからなかったことがいくつか明らかに
なったこともあってご紹介したくなりました。

鵜呑みにしなくて感じるままに流していただければと
思いますが、一番はこの仮相の肉体は何によって
いかされているかと言うことです。

いままで食べなくても生きている人や
水を飲まなくてもいい人や、はたまた生命維持レベルを
落とせば空気さえなくても生きていける人がいることで
人間が生かされているのは一体なんなのだろうと
考えざるを得ませんでした。

この本の予防医学~すべての生命体に共通~では
大切なことを5つ挙げています。

1.眠ること

2.空気を吸うこと

3.水を飲むこと

4.食事をすること

5.出すこと

この5つのことで食事、水はなくても大丈夫とわかっています。

空気はなしではダメでしょうが、苦しかったら吸います。
出すことも自然に普通は出ます。

新しいのは眠りです。
肉体が仮相だとしたら、人間は本来一瞬たりとも
眠ることはなく、生命がもし永遠ならば永遠に眠ることは
ないです。

しかし肉体と生命が一体なのはこの仮相現実の
認識です。
無意識になる眠っている時間に何がおきてるのでしょうか。

随想 伊路波村から132~予防医学~すべての生命体に共通~  2

現実にきたら眠ることがとても大切と知りました。
あといろいろと今までわからなかったことが
たくさんわかってきました。

1.お風呂に入るときは最初に首に湯をかける。

 体外足から下といってだんだん上へいきますが、
 首に頭の中の血管のセンサーがあるようです。
 足湯とか腰湯とかは頭の血管が開いていないうちに
 血流をあげるのであまり感心できないようです。
 お風呂はまず首筋にお湯をかけてから。

2.痴呆防止には頭を使うこと。

3.朝陽を見る。

4.カーテンを閉めて眠らない。

 人間でも植物でも、闇とともに眠り、光に従って
 眼を覚ますのが自然です。カーテンはそのチャンスを
 失い不自然ですね。少し光が入るようにして眠ってみますと
 朝、自然な目覚めになるかもしれませんね。

5.月を見る。

6. 7の倍数がバイオリズムの原点。

7.いい音楽。

8.生野菜 生肉は良。(ドレッシングはかけないがいい)

9.世界最高のサプリは寿司。

10.体内で常温でマグネシュウムがカルシュウムに転換する。

11.血液は小腸で造られる。

12.目のためには珪素が必要。

13.どんなに良いものでも毎日ではダメ。
  28日に一回くらいがいい。(うなぎとか)

14.植物の水は油と混ざる。

15.腹を温めるとオンリーワンの自分酵素が腸内細菌を作る。
 38度が一番。

16.海の水はミネラルたっぷり。蒸散して雪になる。
 日本は黒潮によって真水をつくるので、水に困らない世界で唯一の国。

随想 伊路波村から~異国にかける夢 041118

「異国にかける夢」

どうして言葉に詰まったのだろう。

そのまましゃべれなくなって、他の方が
フォローしていた。

その方のしゃべっている言葉の意味が
まったく頭に入らなくて、ただ涙だけが
目からふきだしていた。

3ヶ月おきに集う異業種会の卒業生の
集い。少し卒業していない方もみえる。
熱い人々の集いでもある。

お酒が入って、少し興が乗る頃、
お一人ずつのなんでも話が始まる。

席は自然にきまるのだが、なんだかいつでも
その加減で順番が最後の方になってしまう。

それでみなさん酔ってるものだから、
結構ちゃちゃが多くて、そのうち忘れて
しゃべらなくてもよくなる。(笑)

今夜は今話題の中国のお話が多い。
今日は番が来てしまった。

実は中国の方とは縁が多いのだった。

11年ほど前通った飲み屋さんに
美しい中国の留学生の女性と
その友人の男性が勤めていた。

まだ二人とも日本語学校に通ってみえた。
やがてお二人とも大学に受かり、学生になった。

そして2年後女性の方は首席で短大を卒業。
男性の方は大学院に進みその後講士となる。

二人が日本の生活に慣れる頃、
日本への留学生の入国審査が難しくなる。
今はもっと難しいらしい。

たまたま見ていたテレビ番組で数名の
中国人留学生のドキュメントを放送していた。

たくさんの犯罪発生から、あるていどの
貯金がないと日本にとどまれないようになった。

それで国の親に相談する留学生たち。
国の家の事情はよくわかっていて、送金を頼むことも
できず、帰国するもの。

そのまま行方不明になる者。
親御さんの必死の金策で送金を受け、
日本滞在を続ける者。

さまざまな人間模様が描き出されていた。

やっとの努力で国立大学の受験に成功し、
喜びの報告の国際電話のむこうから、
知らされた半年前の母親の死。

「異国にかける夢」はお金という存在が
人間の大切な関係までも崩すのだろうか。

話は戻って、大学院の講士となった陸さんという方から
依頼があったのがもう7-8年前になるだろうか。

「親友が日本への留学を希望しているんです。
できれば、保証人になって下さい。」

そのころなんでも「ハイ!」だったから。
承諾。

だがそれには中国でその方に会って、写真を
とる必要ができた。

知らないあいだがらの保証人にはなれなかったのだ。
正月の休みの3日間を利用して上海へ。

着いた翌日の午前、上海駅で陸さんとともに、
李さんという親友を待っていた。

李さんは現れた。
いかにも純朴で頭のよさそうな青年技師。
北京発の満員の夜行電車で朝着いたのだが、
ずっと立ちっぱなしだったとか。

唇のまわりにはたくさんの熱の噴出しがーー。
朝ごはんを食べ、観光地をまわり、写真をとった。
将来経営者になりたいという彼は
質問してきた。

「立派な経営者ってどんなことが大切でしょう。」

「愛、おもいやりでしょうか。」
「与え続けること」
おぼえたできてないことを話す。

「僕もう日本にいけなくてもいいです。
お会いできましたから。」

かれの言葉どうり、日本に来ることは叶わなかった。

そんないきさつを口に出しながら、
絶句してしまったのだった。

異国に夢をかけた山田善兵衛おじいちゃん。
まったく同じ夢をみて日本にみえる、留学生の人々。

その方たちのいっぱいの想いがのしかかってきたのだろうか。
彼らのその後はどんなだろう。
どこで何をしているのだろう。