住んでいた場所は、戦前の市場。
東西に走る二車線のまだ土道の道路の
南側にそこはありました。
近所の人は「マーケット」と呼んでいました。
“ある道のり3~二人の父親がわり 1~” の続きを読む
さまざまな情報をお届けしています。
住んでいた場所は、戦前の市場。
東西に走る二車線のまだ土道の道路の
南側にそこはありました。
近所の人は「マーケット」と呼んでいました。
“ある道のり3~二人の父親がわり 1~” の続きを読む
中学生3年の時、人生の第一の分岐点を迎えます。
白山神社を学区の中に持つ地区でした。
小学校の一つは新栄小学校。
その卒業生です。
隣には菊里高校がありました。
白山神社のご祭神は菊里姫。
いざなみいざなぎの夫婦仲裁をした神と古事記には
あります。
全国に3000箇所ある白山神社です。
Yさんとのお別れは18歳の時でした。
助けていただいたYさんのおかげもあって、
無事に高校に通うことができました。
今度は大学入試です。
“ある道のり5~二人の父親がわり 3” の続きを読む
自分とは何か。
人生思い返せば、さまざまなお人にお会いしたこと。
そしていろんな体験をさせられたこと。
そのご縁というものと体験というものから、
自分がどのように思ったかということ。
それらが自分を作ったのでしょうか。
“ある道のり6~お人の心~” の続きを読む
皆さまへ
自分の人生を幼いころから書き綴った
「ある道のり」でした。
今読んでも,何と激しい人生だったか、
よく乗りきって来られたと感慨でいっぱいになります。
人生で若いころから生活の中心となった実の母と
長女のことがいつも心に浮かびます。
“日曜日” の続きを読む
自分の人生を幼少期から現在まで書き留めさせて
いただいた「ある道のり」でした。
最も近い家族、仕事を通じた体験。
そして自分という性向をもちながら、
人生がどのように展開していったのかを
書かせていただいて、はやくもなつかしい思い出と
なりました。
東京の友人からメールがありました。
“再録 随想 伊路波村から1~思い出はじめ~” の続きを読む
中学生になりました。
小学校は学区の西の一番はずれ。
子供の足で20分かかります。
その反対に中学校は家の斜向かえ。
立ち木でできた塀の破れからもぐりこみますと、
1分かからず教室へ行けます。
“ある道のり7~新聞配達のアルバイト~” の続きを読む
会合へ出向く用事があって、
夕方タクシーに乗った。
運転手さんが関西弁なので、
「関西のかたですね。」と
話しかけた。
それからの10分間、この運転手さんは
まくしたてるわけでもなく、淡々と話してくださった。
「大震災にあったんですよ・・・。
会社勤めだったんですが。
家がペシャンコで・・・・。
何にもなくなって、てっとり早くお金を
稼ぐ方法といったら、タクシーが一番で、
それで名古屋に一家で出てきたんです。
もうすぐ娘が結婚するんです。
娘には苦労ばっかりかけて・・・。
でもいい子になってくれて。
この前、あんまりいい目させてあげられなくて
ごめんな、って言ったら、
(地震で大変だったけど、家族みんなで
いられる時間が増えてよかったよ。)
って言われました。
嬉しかったです。」
短い出逢いの運転手さんに
こんなにたくさん素敵なお話聞かせていただきました。