森 信三 運命をひらく 365の金言 43 「尊敬するということ」

尊敬するということ

 尊敬するということは、ただ懐手で眺めているということではなくて、自分の全力を挙げて相手の人に迫っていくことです。地べたをはってにじり寄っていくようにーです。つまり息もつけないような精神の内面的緊張です。薄紙一重もその間に入れないところまで迫っていく態度です。

 迫ろうにも迫れないと思っているのは、君がまだ真に迫ろうとしていないからです。人間としてのほんとうの力が、まだ動き出していないからです。つまり生命の要求が弱いのです。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 44 「人間のお目出たさとするどさ」

人間のお目出たさとするどさ

 そもそも私達が、一つの徳目を真に徹底的に履み行わんがためには、結局根本において、人格の転換を必要とすると言えましょう。たとえば人が傲慢に振舞うということは、畢竟するに、その人が調子に乗っているということであり、したがってそれは、一見いかにもえらそうにしていながら、実は人間のお目出たい何よりの証拠であります。つまり自分のそうした態度が、心ある人から見られて、いかに滑稽であるかということに気付かない愚かさであります。同時にまた卑屈いということは、一面からは、その人間のずるさの鉦鼓とも言えましょう。何となれば、人間は卑屈の裏には、必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです。
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森 信運命をひらく 365の金言 49 「人間の真のねうち」

人間の真のねうち

 そもそもわれわれ人間の真のねうちは、結局はその人の心の清らかさのほかないともいえましょう。いかに多くの富を蓄えても、またいかに大事業をしたとしても、さらにまたいかなる高位高官に昇ろうとも、人間の最後のねうちは、結局は心一つの問題といってよいでしょう。すなわち、「心の清らかさ」という一事のほかないわけであります。
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森 信運命をひらく 365の金言 50 「人間の気品」

人間の気品

 そもそも人間の「気品」というものは、いわばその人の背後から射してくる後光みたいなものでありまして、それは結局その人が他人の見ていないところで、どれほど自己を慎むかどうか、その程度によって光の差し方が違ってくるわけであります。
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