霊性の旅11~古代からのささやき
この7年の間にしかし 世の中は物凄い変化をしている。
恐慌とも呼べるような今という時間にも 次々とたくさんのご縁をいただいた。昨日は 三重県で牧場を営む Mさんのメールに共通する意識を感じさせていただいた。
マナ・ウオーターを水道に着けて以来、毎日の洗濯が、愉しい日課となりました。子どもの頃には、台所はみがき砂、風呂や洗濯は固形石鹸でしたが、それでも、「水だけ」ということはなく、六十歳になって初めて「水だけ」の体験をしたのですから、それはそれは愉しいのです。
正確に言えば、それは愉しいというだけではなく、「嬉しい」のです。
迷い多き若い頃に、ふと気がついた判断基準の感情は、「いま、やろうとしている事が嬉しいかどうか」でした。正しいか否かという思考ではなく、感情こそ頼りにすべき唯一のものだと信じたのでした。ですから、もう一度正確に言いなおせば、「洗濯が嬉しい」のです。とてもまじめな方で 神道に傾注しコトタマの学びにも深い造詣をお持ちなのだ。
彼の牧場の馬たちが 彼の生き様を現していると感じる。
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