「2千年前に起きたことが今また」 奥の院通信 2/7

2千年前に起きたことが今また

 当時の奥の院(ユダヤ人たち)は、イエスをローマ軍に処刑させようと必死であった。この当時のパレスティナはローマの属州であった。イエスは、ユダヤ人たちの動きを全て知っていた。彼はゲッセマネの園で祈っていた。そこへ、ローマ軍兵士たちがイエスを捕らえにやって来た。

 イエスは、シオンの長老団の前に連れてこられると、次のように言った。

 「私が、毎日神殿でおまえたちといたとき、おまえたちは、私に手をかけなかった。だが、今はおまえたちの時間、おまえたちは闇の力である。」と。

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「壮絶なバトル」 奥の院通信 2/6

壮絶なバトル

 現在、奥の院支配を終わらせようとする勢力と、奥の院(ディープステート)との壮絶なバトルが行われているようである。その一方の勢力には名前がついていないので、どう書いて良いか分からない。しかし、それを決めないと話が出来ない、書けないので、取りあえず真革命勢力としておく。

 革命というと、これまでは奥の院が非ユダヤ人の王国なり、君主国なり、あるいは彼らの言う民主主義国家であれ、彼らの意に添わない国を倒すために行うことを言ってきたので、何となく違和感がある。そこで、ここでは取りあえず「真革命」ということにする。しかし、実体は今、世界を支配している奥の院に対する革命と考えれば、これは「反革命」とも言える。もっと適切な命名が出来ればすぐに変更する。

 ユダヤ人曰く、「人類にはユダヤ人と非ユダヤ人の二種類しかいない。非ユダヤ人は本当の人間ではなく、彼らはゴイム(豚・獣)である」と。そこで、彼らは地球上のあらゆる国を潰すのである。

 人間は神から選ばれたユダヤ人だけであるというのである(選民思想)。あるユダヤ人歴史家が、「人類の歴史は非ユダヤ人のユダヤ人に対する抵抗史である」といった。当にその通りで、現在その抵抗が生じているのである。しかも、今回の抵抗は、およそ2千年前のイエス・キリストが公開処刑された時以来の抵抗である。しかも、今回は世界を巻き込んでの抵抗である。

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神の使者から奇跡の道へ その70~肉体は赦すことはできない

「肉体は赦すことはできない」

そうですね。
肉体は決心できませんね。
あたりまえですが。

すべては人間の最大の能力である
自由な心で決めるんですよね。
そしてだれでもが持っている自由な心。

もし、もしですが、肉体が幻想だとしたら
どうでしょうか。?
肉体が幻だとしたら、何か不自由があるのでしょうか。
何かに怒ったり、恐れたり、悲しんだりなんて
意味ないですよね。

ところが自分が怒っているときにはいつでも
自我の「祝福」を受けた特別な関係を作り出します。
肉体が、それだけがあなただと叫ぶ自我さんの勝利です。

全ての怒りは誰かに罪悪感(分離感)を感じ
させようとする試みのようです。

そしてすべての恐れは自我さんの知覚であって
それ以外の何ものでもないですね。
だから自我に、あんたなんかには従わないと宣言しても、
自我はあなたを殺すことは出来ませんね。

肉体はただあなたの目的に忠実に仕えるだけ。
そう、自我に従わないものを自我はころすことは出来ません。

「死の魅力が、愛の真の魅力に屈するとき、
死に対する恐れは去るだろう」

「肉体は赦すことはできない」

ガリラヤ湖の153匹の魚 再録

ガリラヤ湖の153匹の魚
イエス様三度目の復活の場面。
ガリラヤ湖で網にかかった153匹の魚の意味を考える。

三で割れる数字の中で唯一の数の意味を勝手に理解。
全自然数の3分の一である3で割り切れる数の中の
唯一の特徴を持つ数である153。
これしかない。

父と子と聖霊の三位一体。
その三位一体の唯一の数とは、一人一人。
すなわち貴方様。?
一人一人が分離感をなくすようにとイエス様が数霊に込めた気がいたします。

ゼカリヤ書13・8-9

⑧全地はこうなるー主の言葉-
三分の二は死に絶え、三分の一がそこに残る。

⑨わたしはその三分の一を日の中に入れ、銀を精錬するように彼らを精錬し、金を試すように彼らを試す。彼はわたしの名を呼び、わたしは彼に答える。
わたしは言う、「これはわたしの民」。
そして彼は言う、「主こそわたしの神」。

ほとんど死んでいるかのように生かされる人々で
満ちている現代という時。
三分の一が分離感を解き放ち生かされた者と
なるかのようなイエス様の預言です。

こちらは現代のキリスト教とは無関係ですが。
イエス様の言葉は別次元と感じさせます。

名古屋ー豊田ー飯田と続く飯田街道
豊田ー飯田は国道153号線。
田ー田の「田田交産」新しい力を生み出すこと。

そして中部日本放送は1053キロヘルツの周波数。

日本の真ん中の不思議な数霊を思います。

数霊の遊びですが。

まさか 今。?

メッセージ 自分で自分を自分する

2235「メッセージ」2021.2.6
今回は「いっぷくからありがとう」さんの2021年02月02日の記事を紹介します。

あずさからのメッセージ

今日はダウン症のお子様を持つお母様で、学校の先生でもあります、是松いづみ先生の随想をご紹介します。

私のブログを読んでくださる皆様の中にも、

・お子様を早くに亡くされたり

・お子様が不登校だったり、

・いじめにあわれていたり

・病気でいられたり

する方が多いです。そんな方たちにとって、勇気が湧いてくるお話かもしれません。

<引用開始> 引用元

 十数年前、障がいのある子がいじめに遭い、多数の子から殴ったり蹴られたりして亡くなるという痛ましい事件が起きました。それを知った時、私は障がい児を持った親として、また一人の教員として伝えていかなくてはならないことがあると強く感じました。

 そして平成十四年に、担任する小学五年生の学級で初めて行ったのが「あずさからのメッセージ」という授業です。
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神の使者から奇跡の道へ その71~死に対する恐れがなければ・・

「死に対する恐れがなければ、あなたには何が
見えるのだろうか。もし死があなたにとって魅力を
もたないものだったなら、
あなたは何を感じ、何を考えるのだろうか」

死が魅力って変な言い方ですね。
でも恐れているってことは確かに魅力ですね。

あなたは何を思うのでしょう。

あなたを創造した「父」なんでしょうか。?
何で生まれて来たのか、創造した父に
聞いてみたいですか。?

でも父と子は離れたことがない。
だから融合があなたを分離の外へと
呼び出すことを決して認めないという
自我さんとの約束は、父との記憶がまったく
忘れ去られたかに見える、重度の記憶喪失。

自分が赦していない者たちを恐れ、
その恐れを傍らにしていては
決して「愛」に到達することはできないよう。

愛に向けて目を上げれば世界は自分を
すっかり見捨てるだろうと思えてしり込みする。
でも実際には自分が世界から永遠に立ち去るだけのようです。

もっと遊びたいのに。!
ちょっと寂しすぎ・・・。
お声が聞こえそうです。

なんてね。(笑)

「死に対する恐れがなければ、あなたには何が
見えるのだろうか。もし死があなたにとって魅力を
もたないものだったなら、
あなたは何を感じ、何を考えるのだろうか」

神の使者から奇跡の道へ その72~肉体を通して楽しみを・・

「肉体を通して楽しみを求めるなら、苦痛を
見出さずには済まない。肉体とは苦痛への招待」

おいしい食べ物、おいしいですよね。
快楽。快楽ですよね。
でもその果てに待っているのは苦痛ですと。

その苦痛への招待をワクワク待ち受けている自分。
ああ なんて儚い夢でしょうか。

そんな普通はワクワクすることに融合や
癒しや平安はないと言われている感じです。

また、そのようなことを遥かに超えるものを
知らずして、肉体を終えることもまた
儚いことかも知れません。

「肉体が融合することが可能だと信じている間は、
あなたは罪悪を魅力的なものと感じ、
罪は貴重なものだと信じるだろう」

肉体は決して融合は出来ないということでしょうか。
通常の感覚ではない言葉です。

それこそ私たちは一度も分離はしていないと、
常に思い続けることができたとき、
いつもいつも融合と平安に満たされた、
癒された状態でいられるのかも知れません。

赦すには困難な大問題が目前に現れたあと、
そのお相手の兄弟とともに自他ともに
赦し赦された時感じるもの。
それは問題が大きければ大きいほど
大きな永遠の平安を感じることができるのでしょうか。

「永遠なるものは永久に親切であり、無限の
忍耐をもち、全に愛に満ち溢れている」

「肉体を通して楽しみを求めるなら、苦痛を
見出さずには済まない。肉体とは苦痛への招待」