ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 20 神および師は、魂の・・・

20・神および師は、魂の解脱をもたらす
ことはできないのでしょうか?

 神および師は、ただ解脱への道を示すだけだろう。
神やグルは、自分で弟子を解脱の境地へ
連れてゆきはしない。

神とグルが別のものではないということは
真実である。

虎の顎にくわえられた獲物に逃れるすべが
ないように、グルの慈愛深い目の内に
入った者は、グルによって救われ、
見棄てられることはないだろう。

けれどもひとりひとりは、神あるいはグルに
よって示された道を自分自身の努力で追究し、
やがて解脱を得ねばならない。

人はただ自分自身の知識の目によってのみ、
自分自身を知ることができる。

他者の目によってではない。
ラーマ神がラーマ神であることを知るために、
鏡の助けを借りる必要があるだろうか。

「日本とユダヤのハーモニー」 弘法大師が「いろは歌」の作者か

「いろは歌」は誰が書いた?

古代日本のロマンに、私たちを不可思議な力で導いてくれるのが「いろは歌」です。日本人なら誰でも幼いころに「いろは歌」を聞かされたものです。今なお物を整理するときなどに数字順同様「いろは順」が使われ、一千年以上の時を経た今日でも、人々に馴染みの深い字母歌として親しまれています。しかしながら不思議と最後まですらすらと「いろは歌」を語れる人がほとんどいないことは不思議です。
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2527「肉体の死を超えて」2021.11.25 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/252720211125.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月19日の記事を紹介します。

「肉体の死を超えて」

父の逝去に当たり、沢山の皆様よりお悔やみのお言葉を頂き感謝申し上げます。

本来は、お一つお一つ返信させていただきたいところですが、あまりに数が多いため、

恐縮ですが、こちらにてお礼に変えさせて頂きたいと思います。

ありがとうございました。
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ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 21 解脱を願う者にとって・・・

21・解脱を願う者にとって、意識の構成要素
(タットヴァ)を探求する必要があるでしょうか?

 台所のごみを棄てるのに、その中身が何であるか
調べたり分析したりする必要は少しもない。

同様に、自己を知ろうとする者には、意識の
構成要素の数を数えたりその性質を
調べたりする必要はない。

彼がしなくてはならないことは、
自分が覆い隠しているすべてのものを、
構成要素などというものともどもに
ぬぐい去ることである。
世界はひとつの夢のようなものと
見なされるべきである。

ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 22 目覚めているのと、夢見ていることに・・

22・目覚めているのと、夢見ていることに
違いはないのでしょうか?

 眼が覚めている状態は長く、夢は短い。
この他には何の違いもない。
眼覚めている間に起るできごとが真実と
思われるように、夢の中のできごとも
夢の中では真実のように思われる。
夢の中では、心は自分のものではない
身体に宿っているかのごとく装っている。
眼が覚めている状態と夢の両方の状態に
あって、想い、名前、形が同時に現れてくる。