智慧の生まれる処
裏切られた恨みは、これを他人に語るな。
その悔しさを噛みしめて生きていく処から、
はじめて人生の智慧は生まれる。
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智慧の生まれる処
裏切られた恨みは、これを他人に語るな。
その悔しさを噛みしめて生きていく処から、
はじめて人生の智慧は生まれる。
正しいことをしている人間に、
正しからざる出来事が生ずるはずはない。
生命の閃き
人間が本当に真剣になると、
こういうふうにパッと夜中に目があいた時とか、
あるいは朝、目のさめた瞬間に、大事な問題が
パッと分かるものなんです。
その時そういう一種の生命の閃きによって、
基礎理論の不足というようなものも、
ある程度突破できるものらしいですね。
実際不思議といえば、実に不思議なことなんです。
だから普通の学者には、そこが分からんから、
低い学歴の人間には、発明なんかできないと
決めて、たかをくくっているわけなんです。
そのくせ大学で自分の教えた人間が大した
発明もやらんのですが、そこが分からんのです。
“森 信三 運命をひらく 365の金言 25 「生命の閃き」” の続きを読む
油断も隙もないのが人生なんだから、
我々は始終、死生観を自分の頭の中に
はっきりと持っていなきゃ駄目なんだよ。
人生の意義を即答できるか
「人生の意義いかん」という問題に、
もし正面から四つに取り組んで考えるとしたら、
たとえ教養があり、さらにはある程度学問の
ある人々でも、これはなかなか難しく、
かつ、やっかいな問題といってよいでしょう。
それというのも、仮に諸君たちがこの問題を
ひっさげて、社会的にもかなり名を知られているような
学者とか、思想家などに会った際、多少
失礼かもしれませんが、試みにこの大問題を
投げかけてみられるとよいでしょう。
“森 信三 運命をひらく 365の金言 26 「人生の意義を即答できるか」” の続きを読む
あなた方の肉体を活躍せしめるものは、
あなた方の心である。
偉人に対する三通りの態度
人間が偉人に対する態度に三通りある。
第一は偉人に対して無感覚な人間で、
これは精神的にはすでに死んでいる人間である。
第二は偉人の偉大さに感心している人間である。
第三は偉人に肉薄してゆく人間である。
それはその偉人の精神を継承し現実に
開顕する人である。
この気迫がないようでは、人間も生きている
ほんとうの価値はないといってよい。
チョイと電車にひとつ乗るんでも、
バスに乗るんでも、他人なんか
どうでもいい、自分がというような
気持ちが先に出てやしないか。