「永 遠」

今を見て

悲しまないでください
恐れないでください

わたしが出逢った お父さん お母さん
しっかり生きているので 安心なさってください

わたしが出逢った 娘よ いまも元気だから
安らかにしていてください

今度の旅で出逢った 友だちよ
君のことは 決して忘れないから また逢おうね

決して忘れないから

わたしを地上に出した わたくしよ
あなたに与えられたことは
与えることが叶ったので
どうぞ平安にいてください

今もまだ 旅は続いています

そしてこれからも

永遠に・・・

神の使者から奇跡の道へ その75~あなたが見ている世界は・・

「あなたが見ている世界は、あなたが自分に
下した裁きに他ならない。それはまったく
そこには存在しない」

世界は存在しない。?

そうだとしたら、その幻想という世界は
なにゆえ幻想としてでも見えるのでしょう。

それは心の影。?

とうことはすなわち自分の心が
判断し裁いた影でしょうか。
「判断することも、裁くこともできない」のにです。

目の前に現れる兄弟も、もちろん心の影だとしたら、
兄弟に対して裁いてしまったことを赦すしか。

「兄弟に対する自分の赦しが、自分たち二人だけの
ためにしか役立たないと考えてはならない」

心の影だったところを抜けて、新しい世界の
全てが各々の二人一組になった者たちの手の中にある
らしいので、つながりあうという奇跡の一つひとつが、
永遠の世界への強力な前触れとなるようです。

奇跡へのカギはもちろん赦しですね。

「あなたが見ている世界は、あなたが自分に
下した裁きに他ならない。それはまったく
そこには存在しない」

神の使者から奇跡の道へ その76~あなたの兄弟を罪なき者と・・

「あなたの兄弟を罪なき者と見ながら、
彼を肉体として見ることは不可能」

逆に言えば罪のない肉体を見ることも不可能ですね。
肉体と言えば、罪そのものですから。
分離しているもの、そしてないもの。

そして肉体って、関りを通して権力を求めるために
自我が選択した武器そのものですね。
ですから兄弟を肉体として見ている者は、
彼に裁きを下したのであり、彼を見ていない。

どうすれば兄弟を肉体なしで見ることができるだろうと
質問してはならず、私は彼を本当に罪なき者と
見たいのだろうかとだけ問えばいいようです。
そしてその時忘れてはならないことは、彼の無罪が
あなた自身の恐れからの脱出だと言うことのようです。

救済が神の声である聖霊のゴールで、その手段は心眼。

「あなたの兄弟を罪なき者と見ながら、
彼を肉体として見ることは不可能」