ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 24 幸福とはなんでしょうか?

24・幸福とはなんでしょうか?

 幸福は、自己の本性そのものである。
幸福と自己は別のものではない。
世界のいかなる対象物の中にも幸福はない。
私たちは無知のゆえに、対象物から幸福を
得るものと思っている。

心が外に出てゆくとき、悲惨を味わう。
心の願いが満たされるときには、
実は、心は自身の本来の場所に戻っており、
自己である幸福を楽しむのである。
同じように、眠りの状態、サマーディ(三昧)、
失神状態、あるいは願った対象物が
得られたとき、嫌いな対象物が消え去ったときには、
心は内面に向かい、清らかな自己ー幸福を
楽しむのである。

心は、このように休むことなく動きまわり、
自己から外へさまよい出てはまた元の
場所に帰ってくる。
外では太陽が焼け焦げているが、木陰は
気持ちがいい。
灼熱の太陽の中を歩いてきた人が、木陰に
宿れば涼しいと感じる。
木陰からわざわざ太陽の下に出てゆき、
また木陰に戻ってくるのは愚かなことである。
賢い人はずっと木陰に宿りつづけるだろう。
そのように、真理を知った人の心はブラフマンを
離れない。

無知な心は、その反対に世界をさまよい歩いて
悲惨を味わい、つかの間の幸福を味わうために
ブラフマンに帰ってくる。
実際には、世界と呼ばれているものはただの
想いである。世界が消え去り、想いが消え去れば、
心は幸福を経験する。

世界が現れると、悲惨の中を行く。