「もう一つの戦い」 奥の院通信から R3  10/3

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 今月5日の予定されていたビル・ゲイツの死刑判決実行が、先日1日(金)早朝に繰り上げて前倒しで実施された。この日早朝、殺人犯でマイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは、突然の電話で目を覚ました。同時に海兵隊員が独房に入り、海軍法務局(JAG)が予定した10月5日から日程変更があり、本日実行すると告げた。その理由についての説明はなかった。

 執行手続き命令は間もなく届くとし、彼はグアンタナモの南端に新しく立てられた絞首台に連行された。その近辺でかつて他のディープ・ステート(DS)の罪人たちは首につける縄を見たのである。「あんただけのために、新しく立てたんだ」と一人の警備員があざけったという噂である。

 ゲイツは最後の食事を断った。その1時間後、太陽が水平線から昇りきった時刻、ゲイツは死刑執行のために整地された場所にある絞首台まで引き立てられた。手錠を嵌められ、ハンヴィ車両(軽装甲車)から降ろされたゲイツは、足蹴りし、悲鳴を上げ、ミリタリーが日程の約束を破ったことを責め立てた。「俺様にこんなことはできやしないぞ、あと4日はあったんだ。俺に嘘ついたな。責任者に話す。ここに連れてこい」とゲイツは喚いた。

 死刑執行手順を指揮する海軍少将にして、海軍法務局長のダース・グランドールは、ゲイツに嬉しくないニュースを聞かせた。
 「貴方に不似合いなここは止めて男らしくしなさい。宣告された日程は、暫定的、条件付きであり、予告なしの変更があるのだ。1時間の予告は与えてある。無意味な言動が続けば、静かにさせ、それから吊すぞ。あんたを作った神様に会うためにそうしたいのか?」と。

 前回までのDS工作員の死刑執行と違い、シビリアンと政界からの立会人はいなかった。ほんの少数の軍人だけが立ち会った。ゲイツは壇上に登った。名前札、階級章、記章を外した兵士が首に縄をかけ、絞めた。従軍牧師が最後の儀式を執り行い、死後の救済があるようにと告げた。グランドール少将は「最後の言葉はあるか」と尋ねた。

 ゲイツは「私は、罪状にある全てに無実だ。メリンダ(元妻)は嘘つきだ。私は善良人だ。慈善を行い、常に法に従ってきたのだ。そうだ、1975年に逮捕されたことがある。免許証不携帯とスピード違反だ。しかし、そんなことが死刑になるものか。・・・」と喚く。
 グランドール少将は「私は、最後の言葉を聞いているのだ。小説を書いて貰いたいのではない」と言う。そして、ゲイツの傍らに立つ兵士に合図を送った。兵士がレバーを引くと足下のドアが下がって開いた。しかし、上手く行かなかった。首が直ちに折れなかった。ゲイツは空中で揺れて、足がバタバタし、眼球が眼窩から飛び出さんばかりになった。手錠をかけられた手が、吊しているロープを空しく掴もうとした。喉から耳障りな音が漏れた。

 グランドール少将の副官が、「縄を切って降ろしましょうか」と尋ねた。しかし、少将はノーと言った。判決は多少技術的な困難があっても遂行しなければならない。ゲイツは4ー5分も生きていた。そして窒息して死んだ。縄を切って降ろされた。医師が絶命を判定した。「ビル・ゲイツはこうしてこの世から消えた」と消息筋はいった。

 南カリフォルニア大学教授で、中世の死刑に詳しいポール・ノール氏は「絞首刑は優しくないのです。身長、体重、落下距離、そんなことを考慮しなければならない。それで縄の所要の長さが決まる。こういう変数を入れて計算しないと、死刑に失敗し、死刑囚は窒息死するまで長い時間苦しむのです」という。

 先日ビル・クリントンが収容所内で何者かに毒殺された。これが原因で、ビル・ゲイツの死刑執行が予定よりも数日前に変更になったのである。法に従って執行されなければならないのに、それを関係のないものが殺害するなど許されないと言うことである。場合によってはその死刑囚を奪いに来ることもあり得る。ゲイツはそれを微かに期待していたのかも知れない。現に、ヒラリー・クリントンは最後まで「仲間が助けに来てくれる」と叫び続けていた。

 ここには、法に従って犯罪人を処分する当局に、そうはさせないという奥の院・ディープステートの意地もあるようである。「我々の要人をゴイム(非ユダヤ人・豚・獣)如きに自由にはさせないぞ」ということであろう。その日の朝か翌日でも、ビル・クリントンと同じように、ゲイツも毒殺されたかも知れないのである。奥の院・ディープステートは恐ろしい。