神の使者から奇跡の道へ その119~神の平安とは何か

「神の平安とは何か」

神の平安は、まず、一つのことによって
認識されるようです。

それは、これまでのすべての体験とは
あらゆる点において全く違うと認識されますね。

「それ以前に起ったことは何一つ、心に喚起されることはない。
過去はただ消え去り、その代わりに永遠の静けさがある」

怒りのあるところには、神の平安は決して
訪れませんね。
ですから赦しこそが、神の平安をみつけるための
必要条件でしょうか。
そんなのいらない人は、それはそれでいいでしょうね。

もしひとたび神の平安が見出されたなら、そのことは
いったいどのようにして保持されるのでしょう。

生命に対する対極はありません。

それは神そのものだからですね。

再び怒りが重たい垂れ幕を下ろすことは
おそらく何度でもありますね。

その時、あなたは、
「神の創造した一切に終わりはなく、神が創造しなかった
ものは実在しないということを理解し、
世界のすべてを赦しさえすればいい」

太陽や星々を超え、あなたが思い浮かべることのできる
全ての想念をも超える全宇宙が、あなたに属しています。
信じられなでしょうけれど。

そして神の意志はひとつであり、存在するすべてですね。

神の平安とは、神の意志にはまったく対極がないという
単純な理解であり、それ以上のものではありません。

「神の平安とは何か」