「赦しとは、もとより起ってはいないことを
知覚しないことにより、実在しないものに対して
適切に応答するようにと、あなたに求めるだけ」
もとより起っていないとは、起っていると
思っている普通な考えでは無理無理ですね。
まずこれは起っていないことだと心から
思えるのかを試されますね。
それができないと、やはりこれは、この知覚は
真実だと普通に思います。
まずだから知覚していることはただのジョークだと
思えるか。
ようするに自分以外誰もいないのに、お相手がいる
体験をして、そのお相手が自分だと信じれるのか
と同じことですね。
これはいつもいつも目の前のものを
幻想だと思い切る訓練からでしか難しいですね。
または最初に幻想だと確信できるような
体験をしてからなら可能でしょう。
そうすると決して自他は分離していなくて
すべては自分だと確信できます。
起きることは、自分に知らせる贈り物だと
確信できる。
できごとにすべて「赦し」という適切な
応答を続けるならば、やがては扉の前に
立つことができるのでしょうか。
「当然のものとして認識された赦しは、癒しをもたらす。
それは幻想を看過する強さを奇跡に与える」
「赦しとは、もとより起ってはいないことを
知覚しないことにより、実在しないものに対して
適切に応答するようにと、あなたに求めるだけ」