あらゆるお人の人生には、肉体を終えるまで
決して口外できないことが、どなたにでもあることでしょう。
よく「墓場まで持っていくことがら」と言われます。
一度も問題がなった方こそ今生で
成長がなかったことになりますから。
公にならない自分や、他の方の犯罪
人の生死にかかわる本当のこと
隠しておきたい喧嘩別れ
堕胎
幼いころに受けた行為 した行為
大人になって受けた行為 した行為
見えない大失敗
誰にも知られない他人への中傷
世界に起こったことの真相を知っていること
などなど・・・
頭に浮かぶこれらのことは、自分だけが知っているか
または自分と近しい家族だけが知っていることもあるでしょう。
生かされている間はこのような事柄を
胸の奥深くに隠して、それでも時にはチラチラと
自分の脳裏をかすめて、深い贖罪と悲しみの中で
毎日を生きなければならないのが人の一生ともいえます。
人間は悲しいものでしょうか。
またそれらのことは日常では現れることもなく
胸の奥深くに眠ったままです。
でもその心は行いや考え方や決断に必ず出てきます。
自然界に住む動物たちなら、何も知らず法律もなく
まして死ぬことも知らないのですから、まったく
人間のこのようなことは関知しません。
人間だからこそ。
でもよく思います。
真相は自分が心の中で思っただけで
すでに宇宙は聞いて、知っていると。
だから隠しておきたい事柄、起こしてしまった心を
今 まず赦せばいいと感じます。
そしてそのことの相手も今 同時に赦せば
すでにそれはなかったことになります。
そしてその後の人生はより明確に変化していきます。
小さな会社の経営者としてさまざまな体験をしました。
やはり決してお人には口外できないことがあります。
たくさんです。(笑)
でも理屈も知らず与えられた湧き上がる意識だけを
頼りに、不思議とその作業を続けていました。
あらゆるできごと、あらゆるお人に(敵と言われるお人)対して
自分のそのような心を赦し、お相手がどのようなことをしようとも
赦してきました。
そして感謝しました。
三年前会社を今の地に移動する決断はそのような
口外できない事柄によってできたのですから。
日常では「赦し」は不可能なほどの問題でした。
でもできました。
知っていました。
自分はそのお人なのだと。
そして三年後の今思うのです。
その方のおかげで今日があり、あの時の決断は
その方がくださった宝物。
心にたくさんたまっていた心配、不安、名誉への執着、たくさんの
問題がすっかりと消えていきました。
そしてコロナ。
今でしたら移動を決断しても、それを受ける他の会社も
なかったことでしょう。
湧き上がる意識に忠実に動けたことは、
「墓場まで持っていくこと」の主人公がくださった癒しでした。
できないことで心が叫ぶことを勇気をもって行為する。
その連続が実相への道へ導くとの確信です。
「教えることは赦しだけ 学ぶことは赦しだけ」
いつやるのか? 「今でしょう」(笑)