随想 伊路波村から93~進化?

唄の歌詞には旋律、
思い出には映像がセットでないと、
語っても伝わらない。

ましてやその時の感情の動きなど
他の人にわかるはずもない。
わからなくてもいいんだけれど。
魂魄にかかわることにすぎないが。

個々人の体験って何を意味しているんだろう。
それとも何の意味もなくて、ただ体験する人が
勝手に意味を作り出したり、何も感じなかったり
するだけだろうか。

聞いたこともない話に飛び上がり、
感動しすぐ実践行動にうつす人がいる。
そんな人をみて以前の自分をみるように、
ほほえましく感じることもある。

終わったことってあるんだろうか。
人はさまざまな体験をし、
一生を一事に費やす人もあれば、
幾度もその一事を変更し、
生きていく人もある。

決まっているんだろうか。
霊での響きは進化ときいた。
進化してどうなるんだろう。

人生は「選択」か「運命」かでの
エネルギーは「選択」が優るよう。
では「偶然」か「必然」かではどうだろう。
偶然はないって選択したほうが、
人生は輝きそう。

そのほうが対象をすべて感謝にもっていけるから。
何がおきても感謝しよう。
おきることの選択を何度も試されている。
時にはそんな気さえする。

「まだ そんなこと?」ってやさしく笑われそう。
変化しないことを感謝することもあれば、
変化していくことに感謝することもある。
進化よりも変化。
退化も変化。
みんな感謝の対象だろうか。

マジシャンセロは飛ぶ。
肉体を物体が抜ける。
妙なる振動は物体をとらえない。

肉体の苦痛は意識の変化を促し、
感動感激は細胞をみずみずしくする。

だが霊なる響きは、知覚するものすべてを消し、
大なる全体の溢れ、こぼれ、超巨大な実態の
宇宙感、絶頂幸福感を意識にもたらすのか。

進化しなくても、すでにあるものだろうか。

ひとしく すべてのヒトに。