随想 伊路波村から~異国にかける夢 041118

「異国にかける夢」

どうして言葉に詰まったのだろう。

そのまましゃべれなくなって、他の方が
フォローしていた。

その方のしゃべっている言葉の意味が
まったく頭に入らなくて、ただ涙だけが
目からふきだしていた。

3ヶ月おきに集う異業種会の卒業生の
集い。少し卒業していない方もみえる。
熱い人々の集いでもある。

お酒が入って、少し興が乗る頃、
お一人ずつのなんでも話が始まる。

席は自然にきまるのだが、なんだかいつでも
その加減で順番が最後の方になってしまう。

それでみなさん酔ってるものだから、
結構ちゃちゃが多くて、そのうち忘れて
しゃべらなくてもよくなる。(笑)

今夜は今話題の中国のお話が多い。
今日は番が来てしまった。

実は中国の方とは縁が多いのだった。

11年ほど前通った飲み屋さんに
美しい中国の留学生の女性と
その友人の男性が勤めていた。

まだ二人とも日本語学校に通ってみえた。
やがてお二人とも大学に受かり、学生になった。

そして2年後女性の方は首席で短大を卒業。
男性の方は大学院に進みその後講士となる。

二人が日本の生活に慣れる頃、
日本への留学生の入国審査が難しくなる。
今はもっと難しいらしい。

たまたま見ていたテレビ番組で数名の
中国人留学生のドキュメントを放送していた。

たくさんの犯罪発生から、あるていどの
貯金がないと日本にとどまれないようになった。

それで国の親に相談する留学生たち。
国の家の事情はよくわかっていて、送金を頼むことも
できず、帰国するもの。

そのまま行方不明になる者。
親御さんの必死の金策で送金を受け、
日本滞在を続ける者。

さまざまな人間模様が描き出されていた。

やっとの努力で国立大学の受験に成功し、
喜びの報告の国際電話のむこうから、
知らされた半年前の母親の死。

「異国にかける夢」はお金という存在が
人間の大切な関係までも崩すのだろうか。

話は戻って、大学院の講士となった陸さんという方から
依頼があったのがもう7-8年前になるだろうか。

「親友が日本への留学を希望しているんです。
できれば、保証人になって下さい。」

そのころなんでも「ハイ!」だったから。
承諾。

だがそれには中国でその方に会って、写真を
とる必要ができた。

知らないあいだがらの保証人にはなれなかったのだ。
正月の休みの3日間を利用して上海へ。

着いた翌日の午前、上海駅で陸さんとともに、
李さんという親友を待っていた。

李さんは現れた。
いかにも純朴で頭のよさそうな青年技師。
北京発の満員の夜行電車で朝着いたのだが、
ずっと立ちっぱなしだったとか。

唇のまわりにはたくさんの熱の噴出しがーー。
朝ごはんを食べ、観光地をまわり、写真をとった。
将来経営者になりたいという彼は
質問してきた。

「立派な経営者ってどんなことが大切でしょう。」

「愛、おもいやりでしょうか。」
「与え続けること」
おぼえたできてないことを話す。

「僕もう日本にいけなくてもいいです。
お会いできましたから。」

かれの言葉どうり、日本に来ることは叶わなかった。

そんないきさつを口に出しながら、
絶句してしまったのだった。

異国に夢をかけた山田善兵衛おじいちゃん。
まったく同じ夢をみて日本にみえる、留学生の人々。

その方たちのいっぱいの想いがのしかかってきたのだろうか。
彼らのその後はどんなだろう。
どこで何をしているのだろう。