ある道のり34~あとがきにかえて~

ここまでお付き合いくださった
今生でのご縁のあるすべての皆様に深甚なる感謝の意を
表します。

みなさんの人生は、ご縁ができましたらすべてこちらの人生でもあります。
耐えることができないような大変な出来事も、
怒らざるを得ないはらわたが煮えるような思いも、
そして深い深い悲しみも、
すべては与えられた尊い教えかもわかりません。

そのことを受容し、それに耐えたとき、そして
出来事もお相手も赦し続けたとき、この世に生まれでた
醍醐味が味わえることと感じさせます。

思えば社会的な自我が芽生える三歳頃には、まさかこのような
人生の体験があろうとは、ほんのわずかでも思えずにいました。

また学業に目覚めるころもまた、大した夢や希望もなく、
ただただ一日が満たされればそれで幸いでした。

いやなことはなるべく会いたくなく思い、
耐えることがあってもそれは何らかの
目的があったから耐えられました。

学校の専門を選ぶ時も、決めていたわけでもなく、
ただの直感でした。

会社もまた土木会社で、設立まだまもない会社。
さらに給料が高く、もしかして社長になれる会社。
俗っぽい願望が主です。

そして歩いても、歩いても「これではない」の連続です。

今生での数々の体験と出会いという縁が新しい行動を
生み、人生が急展開してきました。

したくないことをしていると身体に変調がきたり、
精神が壊れることはないように、動物的な欲望で
逃げるようになりました。

結局はしたいことをすることで、湧き上がる思いを
満たし続けることがもっとも早い展開と知りました。

そしてそれをやり続けることで、深いところから湧きあがる
本当のことに近づくことができると感じさせます。

考えてみましたら、今までの人生で何かの直感が湧いたときは
もうすべてあきらめて絶望感に至ったときとか、
この肉体が危険になったときとかでした。

新聞配達の帰り道の下り坂で、車にぶつかって、
体が飛んだ時は「ぼく 大丈夫?」
という姿のない声。

経営の方法、方向が分からずどうしたらいいんだろうかと
思い悩んだとき。「外に出なさい。!」

娘が薬を抜き快方に向かっていながら、
再び元の状態に戻ってしまったときの絶望の中では、
「セカンドオピニオン!」

いずれも短い言葉です。
それで、神の声ってあるんだろうかとネット検索してみました。
ありました。
それは「魂のインターネット」というページでした。

そしてこの本の参考図書の一番目に「奇跡講座」があったのです。

いずれにしても人間は究極の絶望感に至ったときに
新しい展開が与えられるので、とにかくその声や直感に
したがって行動することが大切と、体験から教えられました。

もしそれで行動しないでいると、今生がもったいない感じです。

「空」は個であり全体であるものに常に光を与えています。

ここにいながら、体を持ちながら少しでも「ふるさと」に
近づくことができれば、それが人間にとって、
とても大切なことのように思うのです。

その道の途中では、幾度も不安感におそわれます。
そしてみんな消えてしまって、人間的な喜び悲しみ
楽しみや変化を味わうことができないのではないかと
疑いを持ちます。

そのような思いこそが自我さんの栄養になるようです。

個である証明である自我。

誰の心の奥深くにも染み渡る全我。

いずれも生命の深奥に眠る光かもしれません。

そして深い光を感じさせる体験に基いて、

それをもって、生活する上での「行動」というこの世の表現をし続けること。

「心を静かにする行動」をも、し続けることによって、

「いのちの実相」「空」はいつもいつも、実は「ここ」にあること。

その確信をもって、互いに常在を感じることができますように、
深く祈念申し上げて、この物語を閉じさせていただきます。

長い間、ありがとうございました。

そしてすべての皆さんとのこの場でのおであいに、
深く感謝申し上げます。

令和2年 2月28日

               山田 將貴 拝