1995年ですから28年前、初めて故坂田道信先生との
ご縁を賜りました。
幾度もチャンスがあったのにいずれの講演会も
都合が合わずにいました。
そして訪れたその日。
坂田先生は講演の演題の上に正座されます。
それだけでもドット来ます。
開口一番
「人生とは心をきれいにすることです!」と
ものすごく甲高い、魂から絞り出すようなお声で
聞く者に語りかけます。
それだけで聴衆は涙するのです。
以来幾度かの講演の依頼をし、多くの方に
坂田先生のお話をお届けしたいと思って実行しました。
何かの用事で名古屋にみえると
「山田さんまたあのジャージャー麺食べたい!」と言って、
実は緑区の霊園にある坂田先生の師である森信三先生の
お墓に参詣した後、鶴舞の気晴亭(とんかつやさん)で
先生と奥様だけ専用の自然食の麺をいただく習わしとなっていました。
きちっとした奥様が販売されている食品なんかの
請求書を送って
「あの方からなかなか入金がないのよ」と坂田先生に
言いますと「そんならあげたらいい」とあっけらかんです。
ご自分が担当の書籍や、複写はがきの控えなどを
注文させていただくと、必ず直筆のこれも複写の
青い文字で小さな紙片に便りを同封されました。
そして先生は一度の請求だけで入金のあるなしには無頓着でした。
「複写はがきはお相手を借りて書かせてもらうもの
そして自分の心を磨くもの」
とおっしゃいました。
以来28年間のお付き合いが続きます。
昨年の10月を思い出します。
このころはお会いするとせき込んでみえることが
多く、この日も参拝のあとの麺もおつゆだけを
召し上がられていました。
名古屋駅へお送りし、改札へ向かおうとする先生を
なんだか抱きしめたくてハグしてしまいました。
開けて2023年3月14日広島向原のご自宅で
静かに他界されていかれました。
もう一度お会いしたいです。
坂田先生。
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森信三先生の三賢弟
作日自宅に広島県尾道市在住の友人
M女史から「尾道しまなみ新聞」が
送られてまいりました。3000部発行の
無料の新聞で有志の発行によります。
2023年4月発行の第20号は同じ尾道市に
住まいする川原作太郎さまの特集です。
偉人森信三先生の三賢弟のうちのお一人です。
後のお二方は亡き寺田一清先生そして先日
他界された坂田道信先生です。
ご健在は川原作太郎さまのみとなりました。
若き日の坂田先生が敬愛する森信三先生に
始めて会いに広島向原から宝塚へと50CCの
バイクで走り、先生の家を捜しあて、ガラリと戸を
引いて家の中へとお声をかけますと、
森先生が現れてたまたま中にみえた寺田様、
川原様を共に呼び、
「ここにもいたよ。。」とつぶやかれたとか。
時は流れ、愛知県阿久比町にあった森先生の
お墓を名古屋市緑区に移動されたのは坂田先生に
よりました。
そのお墓開きの日、ご縁ある方々が全国から
「ナゴヤキャッスル」に集い、自然食のランチを
共にさせていただきました。
坂田先生の司会によって挨拶を促された
川原様は短い挨拶をされました。
森信三先生の述懐です。
「森信三先生にお会いした時に、先生は
よくおっしゃいました。
経営者とは孤独なものだよ。・・・」
短いご挨拶のこの一言で、恥ずかしながら
眼から涙が伝っていました。
集いが終わり名古屋駅へのお見送りに
坂田先生、川原様が同乗くださいました。
車中川原様は坂田先生へお言葉をかけられます。
「坂田さん! 寺田さんは森先生の本をたくさん
世の中に出された。坂田さんははがき道の実践で
先生に報いている。わしゃ何にもやっとらん。。」
坂田先生は答えました、
「何を言う、あんたはあんたでええ。
あんたは立派に生きとる!」
坂田先生のやさしさが運転席にも伝わりました。
今回の新聞の特集の主である川原様は、
お父上の家業である漁業を引き継がれたあと、
一般の会社に勤め、今は詩人として、詩集や
歴史書などを出版されています。
他界された坂田先生のお話
「川原さんは漁師やってから、陸に上がって
普通の会社に入ったんじゃ。
その会社員の頃、毎朝3時に会社に行って、会社の
周りを掃除するんじゃ、その範囲がだんだん
広がっていった。
それから家に帰って、何にも言わんでまた会社に
来ることを会社に居るうちには誰にも知られずに
やった人なんじゃ。」
陰徳実践の鏡のような方が川原様でした。
新聞から二つの詩をご紹介させていただきます。
川原様 ありがとうございます。
そしてM様に感謝申し上げます。
ただひとつ
運命が良いとか悪いとか言うけれど
与えられたものであるならば
どんなにつらく悲しいことであったとしても
受け入れてゆくしかない
すべての生命は
あらゆる苦に耐えているのだ
自分が一番いいところを受け持って
どうするぞ
いいところは人に譲り
つらく苦しく悲しくて
弱いところ小さいところを 受け持つのだ
運命より大事なものが
この世にはきっとあるはずだ
いつの時代でも揺るがぬものを
ただ一つのものを求めて
生きてゆくのだ
昔も今も偉人と言われた人たちは
与えられた運命から逃げず
苦しい試練の中を生き抜いた
人には
それぞれ役割があり
すべてが大事で
すべてが必要なのだ
ただ一つの役割を
果たして
ただ一度の生を
終わりたい
芙美子 帰っておいでよ
(林芙美子さんのこと)
書くもの 書くもの全く売れず
貧しさのどん底で 死ぬに死なれず
生きていれば 腹は減る
もう二日なんにも食べてはいない
階下の住人が 銭湯に行っている間に
下へ 降りて 味噌汁を盗んで啜る
ああ ついに ここまで落ちたか
涙がポロポロ ポロポロこぼれる
いつかは米屋で 糠をもらって来て
お湯をかけて 食べたこともあった
ただ 一度でいいから
焼いたパンに ジャムを付けて
腹いっぱい 食べてみたい
ああ カネが欲しい カネが欲しい
カネさえ あれば
家賃も払える めしも食える
東京は 冷たい雨が降っている
寒い風も 吹いている
旅のふるさと 尾道へ帰ろう
女学生時代を過ごした あの町へ
赤い帆柱の 船が見えた
潮の香のする あの町へ
芙美子 帰っておいでよ
潮の香のする この町へ
少女の月日を過ごした
この町へ
芙美子は銅像になって、
今では尾道の旧住居近くに帰っている。
坂田先生!!
川原様とのご縁をありがとうございました!!