75歳になりました。
17歳の時今の家内と出会って、8年後に結婚。
1973年10月14日です。
今年50年。
金婚です。
この無茶苦茶な男によく尽くしてくださったと
思いながらも、家族はサンドバックのように
心を傷つけあうこともあります。
家族はそれゆえに、争いとなると殺人事件に
到るほどのこともあります。
家族は遠慮がないために激しく言い合いすることもありますが、
翌日にはけろっ!もあります。
家族はよく幼児性の破壊を助けてくれる間柄とも。
4人のお子が授かりました。
長女は40歳前に早逝。
心が痛みました。
長男は48歳になり独身。
いい男ですが、「嫌いになるのがいや」と
結婚しないよう。
そうですね、始めは激しく求めあうエロス(性愛)。
いつしかそれにも飽きてフィロス(友愛)に
変わっていきます。この時に道が外れますとほかの
男女に気が行ってしまい、別れがあることも世の流れですね。
でもそのフィロスを越えてお互いに尊敬しあう仲になり、
最後のアガペ(聖愛)にいたればなんとか空気
みたいな間柄になりますね。
とてもそんな夫婦とはいえませんが。
そして後残りの二人の娘は2人ともに
☆二つで二度結婚しました。
小さいころから勉強しろとは一度も子供たちに
言ったことはありません。
勉強はそんなに意味がないと分かってましたから。
それより友達に役に立った時にはほんとうに
大げさにほめてきました。
みんなそれなりに素的になったと、
親としては夫婦でいろんな問題をかかえながら
よくここまで来たなと感じさせていただいています。
お人とのご縁はいろいろです。
世に達人と言われる方々に、求める心のままに
お会いしてきました。求めなければあえない方々。
そうした方たちはそれなりに完全に自己の確立が
為されていて、本当にたくさんの学びを賜りました。
ところが人生ですから仕事や地域活動などで
お人と接することがあります。
例えば心ならずも、お人を切ったりすること。
そのことでその人を慕っていた方が会社を辞めることに
なったり、またそのことを根に持ってか、
地域の活動で冷たく接してくる方もありました。
それも25年にもおよびますと、まさに
忍耐の極致です。
ですがその期間が長ければ長いほど、その方の
本心を25年後に目の前にてお聞きした時には
むしろ驚いている自分をみます。
その話題を他の方に話す時、長い間苦しんできたことの
反動の喜びが涙となって流れるのです。
苦しみの期間が長ければ長いほど雪解けの
喜びは大きいのだと生きていてよかったと思わせました。
そして切ってしまった方に25年後に頭を下げ
心から詫びた時、すべてのわだかまりは消えました。
自分の描いたシナリオがこのような出来事だったとは
終わるまでは誰にも分りません。
「忍耐」は「喜び」と一対だとしみじみ思います。
ふと浮かんだ家族の50年の日々です。