「現在が0 宇宙には0しか存在しない」
0って変化しない点のようなもの。
ということは今はいつも不変となりますね。
また宇宙は実は不変とも言えるのでしょうか。
その不変なる今、宇宙は0の連続です。
現象の世界は0の連続です。
バランスが取れています。
そのバランスが平衡の0から変化しようとする
エネルギーは意識でしょうか。
行う力は迷いのない決断から生まれますね。
「心は非常に強力であり、その創造的な活力を
決して失うことはない。
決して眠ることのないどの瞬間にも心は
創造している。」
そして恐れは愛の欠如から生じます。
おそれは自我に属するものだからです。
意識から生まれた決断が0である宇宙を
変化させてまた0です。
でもそれは現象世界であって、実相世界は
常に変化せず0です。
どこまで行っても0なので、本来は何も動いていない
とも言えます。
意識が現実を呼ぶといっても
それは嘘っぽい世界です。
何かを成そうという希望、欲望は
すでに自我の領域ですから。
すべては心の内にあって永遠であって無限。
私たちに呼びかける「聖霊」は唯一の心境である
「喜び」のみを生じさせます。
そしてその喜びを「延長」させます。
自我は「投影」しますので、聖霊と
自我のゴールは正反対となります。
「誰かを非難したくなったら
わたしはこうして非難することで、
自分自身を非難したいのだろうか?」と
たずねなさい。
「兄弟に対する忍耐は、自分自身に対する
忍耐である」
今朝、秋のさわやかなやさしい北風に
吹かれて、街路の木々の葉っぱが枯れ落ちていました。
今頃の初秋の感覚です。
犬と散歩しながら、何とも言えない風の
やさしさに触れ、涙がほほをつたっていました。
その美しい情景に会って「今、天国にいる」と言う思いが
湧き上がりました。
「まるで少女みたい。。」と家内に言われました。(笑)
いつもこのころ五輪真弓さんの
「枯れ葉散る夕暮れは・・・」と歌いながら
街路の枯れ葉を丁度集め始めます。
一か月ほど続きます。
そして春には春の葉っぱが落ちます。
現象の世界は確かに変化を感じさせます。
すべてに喜びの中で行えれば、おそらく
季節はなく変化も感じない世界観になることでしょう。
今、天国にいます。