真の誠
真実の道は、一体いかにして興るものでしょうか。それには、「自分が道をひらくのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、このわが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、開かれるのであります。
が同時にそれだけに、この誠の境地には容易に至りがたく、実に至難なことだと思うのです。と申すのも、お互い人間の誠には、「もうこれでよい」ということはないからです。すなわち、「もうこれくらいならよかろう」
と腰を下ろしたんでは、真の誠ではないからです。真の誠とは、その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、しかも常にその足らざることを嘆くものでなくてはならぬからです。