人生の意義を即答できるか
「人生の意義いかん」という問題に、
もし正面から四つに取り組んで考えるとしたら、
たとえ教養があり、さらにはある程度学問の
ある人々でも、これはなかなか難しく、
かつ、やっかいな問題といってよいでしょう。
それというのも、仮に諸君たちがこの問題を
ひっさげて、社会的にもかなり名を知られているような
学者とか、思想家などに会った際、多少
失礼かもしれませんが、試みにこの大問題を
投げかけてみられるとよいでしょう。
「先生!われわれ人間は、この人生をいったい
何のために生きると考えたらよいでしょうか」と。
その際、もし何らのためらいもなく、言下に即答する
人でしたら、その人のいわれる事柄のいかんは
しばらく別としても、その人は、相当の人物と
考えてよかろうと思います。
それというのも、卒然と相手からこうした人生の
根本問題を投げかけられた際、一瞬のためらいも示さず、
言下に即答ができるということは、その人の学問
なり思想なりが、十分身について、いわば血肉化せられて
いるからだといってよいからです。否、
さらには端的に申せば、結局、それはその人自身が、
常に自分の生き方を問題として、「この二度とない
人生をいかに生きることが真実であるか」という
人生の根本問題に対して、常に自問自答している
のでなければ、そうしたとっさの際に、
このような大問題に、たやすく即答できるものでは
ないからです。