令和5年1月を限りに長崎県川棚駅前の
四次元パーラーあんでるせんさんが閉店と
なりました。
(令和5年6月現在 再開されています)
令和4年11月26日(土)~27日(日)という日に
「あんでるせんラストツアー」と銘を打って
20名でのツアーを企画し実行できました。
もちろん参加者のお一人からの強い要請が
この実現のきっかけとなったのですが、
実は何故だか2022年であんでるさんが
閉店するかもと、強い予感がしていたのです。
予約の為の電話は忍耐が必要です。
9月1日午前8時から11月分の予約電話が
殺到致します。600回の発信を数える頃つながりました。
この28年間で一番早かったのがわずか3回の発信です。
電話口はいつもの奥様
「11月26日で20名ですが。
大丈夫でしょうか?」
「土曜日ですか~~?
土曜日は団体さんは受けないことに
なってるんですよー。
ちょっと待ってください、うちの人に
聞いてみますから。・・・
あ、大丈夫って言ってます」
というわけでほんとうに奇跡的に
20名が予約できました。
もうすでに4名様は他の方で決まっていて
残りはお一人という状況でした。
そして二か月後の26日いよいよです。
午後1時半から開始で午後5時ごろまで
びっしりです。
その内容は幾度も書いてまいりましたので、
今回は何故皆さんをお店にお誘いしてというか、
ツアーを組んで幾度も訪問したのかの訳を・・。
1995年ですから今から28年前のできごとになります。
あんでるせんという名前と何をなさるのかの
概要は友人の三重津市のAさんから
伺ってはいました。
さらに名古屋の若い友人の体験談も
聞いていました。
その友人Oさんは結婚式を控えていた時期に
将来の伴侶の方とハウステンボスの旅に
出ます。そして最後の日丁度翌日帰名するという時、
急にあんでるせんのことが気になり、
午後の部(当時は午前と午後の二回)に並びます。
その頃は先着順でしたから。
無事に入場できたOさんは数々の驚くべき
異次元の体験をされます。
そしていよいよ終盤に久村さんから
声がかかります。
「えーとOさん。(名前も知らないのに?)
どちらからおみえですか?」
「名古屋です」
「いつお帰りですか?」
「明日です」
「もしよかったらその腕時計お借りできますか?
いつものところに戻しておきますので」
「???」
Oさんはそれでも腕時計を外します。
その後久村さんはその時計を両手で
空中に投げると、時計は消えてしまいます。
持ち主のOさんはもう気もそぞろ。
翌日の新幹線車中ももちろん落ち着きません。
帰名後急いで家に戻り玄関を開け、いつもの時計の
置き場所を確認に。
ありました!!
久村さんの数々のマジックはすべて
それをご覧になった方々の取りようです。
すべて種があると見る人。
知らない名前を当てるのは事前に
打ち合わせてとか。
現在の恋人の名前を当てるのも
すべて打ち合わせ済み?
でも将来の伴侶の名前をあてることは?
でもそのようなこともみな体験された方の
心にお任せと彼は言います。
いよいよ何故19回にもわたって皆様との
ツアーを企画したかったのでしょうか。
さまざまな異次元体験を通じてさまざまな
お人はご自分のそれまでの人生での
判断基準でその体験を判断されるのでしょう。
ただ長崎から名古屋まで一瞬にして
物質が移動する「テレポーテーション」は
可能であるという事実を知っていただいて、
私たちが信じて疑わないこの世の実体が
それがほんとうに真実なのかを確かめて
いただきたい。そしてそのことがもし真実でなく
時間や空間は単なるエネルギーに過ぎないと
少しでも確信的に思うことができましたら、
人生上で起きるどのような事柄もすべてを
「受容」しみな「天にお任せ」という心理で
その後の人生を歩んで行っていただきたいと
切に思ったわけです。
それはご縁をいただいたすべての方への
わずかな御恩返しができればとの希望でした。
最後の最後のお別れの時が来ました。
参加者の皆さんを車に残し久村さんに
お別れのご挨拶がしたくなって、一人お店へと
二階に戻りました。
カウンターの中の後片付け中の久村さんに
直立して武学の覚えたての礼を久村さんの
全先祖さんに向けていたしました。
久村さんもたたずまいを正されお応えになりました。
「久村さん28年間に渡り、大変に
長い間そして幾度ものご縁をいただき
ありがとうございました」
奥様にもお礼を申し上げ辞去いたしました。
人生上で多くの学びをツアーにおいて
いただきました。
久村さんにありがとうと申し上げます。
そしてたくさんのツアーにご参加いただいた
全ての皆様に感謝申し上げます。
令和6年3月7日 ゆえあって再訪しました。
おどろくべき個人の体験となりました。