再録 ある道のり28~いのちの実相 11 生気への道 2~

2006年6月6日以来、人生は娘一色となりました。
いやその前の2月の飛び降り以来といってもいいでしょう。

親の責任とかというような義務を飛び越えています。
人は何故ここに生まれるのか。
そしてさまざまなことを何故体験するのか。
結局はわからないので、わかりませんと言うしかない。
でも分からないがゆえに少しでも機嫌よく生きようじゃないか、
それがこれまでの結論です。

原因が意識なら結果は現実。
その中にはもちろん病気も入っている。

でも原因である意識を生み出す心が壊れていたらどうなんだ。
ある人は、心が壊れている人はもう一度やり直すしかないですよ、と言います。
この人生をもう一度。
このような人間界の人生をもう一度。
ごめんです。
もうよいのです。
そしてそれはもちろん娘にもしてほしくもない。
今やる。!
必ずやる!
やり遂げる。!
不明なことをそのままにせず、もうすこしましな答えを得たい。
決して分からないかもしれないけれど、きちっとしたい。
そんなふうに思うのでした。
そして正月を病院で過ごし、2007年2月の末に退院にまで快復しました。

退院後は週に2回のリハビリと週に一度の精神科の受診があります。
車椅子生活が始まっていました。

整形の主治医の方には、絶対に立てませんから、と
厳しく言われていました。

でもそれは整形の先生の独特の言い回しで、
患者さんがそう聞くと、絶対に立って見せると発奮するようです。
事実娘は立って杖で歩けるようになるまで、後日快復します。
問題は精神です。

強い薬は中止し、向精神薬や睡眠薬などの服薬に変わっていました。
私はそれまでみな医者や家内に任せ切りだったことを反省し、
徹底的に精神薬の勉強をしました。

自分ではどんな薬も体には良くないので、口にしなかったのに、
娘にはひどい薬を黙認するような、狂った父親でした。

娘の様子は、足の状態が前に戻らなかったことの引き換えのように、
穏やかなときが多くなってきました。

でも安定には程遠く、やはり以前のように怒り、ハイテンションに
なることがやむことは無かったのです。

私は先生の言うことさえ聞かず、まず睡眠薬をすこしずつ減らしました。
そして日常の一週間の様子を先生に詳細に伝えました。
薬の加減による、状態の変化を先生と共に深く観察し
報告することを繰り返しました。

それとともに、民間のあらゆるものを試しました。
慎重に減薬し、状態が元に戻ると、また薬を戻し、
少しずつ少しずつ減らしていきました。

その年は精神的にきついながらも、以前からだが自在だったときから
比べると、思うように動かないので、見守るほうとしては楽です。

それでも口は達者ですから、近くにいるものは耐えられないことも多いのです。
ゆっくりと薬を減らし 、穏やかなる時が多く感じられるようになりました。

そして年を越し、退院から一年と数ヶ月が経過した5月になりました。
ずいぶんがんばって娘と二人三脚でここまでよく来たなあと
思って、家族みんなで家庭でゴールデンウイークを過ごした後の
深夜でした。

娘のいつもの怒りが爆発しました。
私は本当に絶望してしまいました。
こんなにやってきたのにまた元に戻ってしまった。
何故なんだろう。
どうすればいいんだろう。

それこそ絶望感にがっくりとしていた時、まさに聞こえてきたのです。

「セカンドオピニオン!!」

自分の内側から聞こえていた声でした。