2006年6月6日以来 時計が止まってしまったかのような時間をすごした気がする。
この7年の間にしかし 世の中は物凄い変化をしている。
恐慌とも呼べるような今という時間にも 次々とたくさんのご縁をいただいた。昨日は 三重県で牧場を営む Mさんのメールに共通する意識を感じさせていただいた。
マナ・ウオーターを水道に着けて以来、毎日の洗濯が、愉しい日課となりました。子どもの頃には、台所はみがき砂、風呂や洗濯は固形石鹸でしたが、それでも、「水だけ」ということはなく、六十歳になって初めて「水だけ」の体験をしたのですから、それはそれは愉しいのです。
正確に言えば、それは愉しいというだけではなく、「嬉しい」のです。
迷い多き若い頃に、ふと気がついた判断基準の感情は、「いま、やろうとしている事が嬉しいかどうか」でした。正しいか否かという思考ではなく、感情こそ頼りにすべき唯一のものだと信じたのでした。ですから、もう一度正確に言いなおせば、「洗濯が嬉しい」のです。とてもまじめな方で 神道に傾注しコトタマの学びにも深い造詣をお持ちなのだ。
彼の牧場の馬たちが 彼の生き様を現していると感じる。
そんな嬉しい人様からのメールや あきらめていた霊性の旅が突然に訪れることが 人生を豊かにしてくださるものと 感謝で一杯になる。
沖縄訪問は突然にやってきた。
6月テネモスミーティング一旦終了を宣言させていただいた中旬のミーティング当日の夕食会の席上だった。
「来週 沖縄ですよ。」の言葉に 「行きます。!手伝います。」といって手帳を見るとあいているので無理押しする。(笑)
どうして行きたくなったのかは あとでわかることになる。
モーターを読谷の「青い海」に行って 組み立てるお手伝いだ。金土日の3日間の予定。
金曜夕方 那覇空港で東京組と待ち合わせ読谷村に向かい 夕食会。
翌日は青い海で モーター組み立て。
50Wのドリルドライバーの回転で1300Vの出力を記録した。午前中に無事終了し 「青い海」と同じ経営の「サンゴ公園」を見学して。「沖縄水族館」よりすばらしいと感じた。
生きているから。(?)
その夜も 夕食会。
去年の11月から沖縄に移住した娘のマミ夫妻も那覇から駆けつけた。
おいしすぎる夕食 久しぶりにあったマミちゃんは父に
「行って欲しい場所と あって欲しい人がいるんだけど・・・・」
「だめだよ明日帰らなくては月曜仕事だから。・・・」
酔っているから 堂々と断れる。(笑)
「いいじゃないですか!飛行機何度でも予約変更できますから!」と援護射撃のテネモスのKさんでしたが。
翌朝名古屋へ戻る日曜日。
朝5時にマミちゃんからメール。
「一生のお願いです。」
と言われたら断ることもできず。決めたら方法は無限大。
何度でも予約変更できる航空券であることが幸いしました。
東京組みの方たちを那覇空港でお見送りしたのちマミちゃん夫妻が空港へ迎えに来てくれました。藪地という無人島へ向かうようです。
車中では たくちゃんとマミちゃんが合いの手よろしく藪地でのできごとや今回のいきさつを語ります がなんだかわけがわからず。
「行って感じればいいから。」とだけ返事しました。
藪地は「東洋のローレライ」と言われる海峡をもつ不思議な伝説の地でした。
6000年~7000年以前の土器が発見され 沖縄ではもっとも古い場所とされています。今は周囲4キロほどの無人島で細長い 久高島のようなまっすぐな道が一本だけあります。でもでこぼこで 人も車も寄せ付けていない感じです。島へかかる立派な橋を渡り 一本道をゆっくり進むと終点です。
「あ 真心さんいるよ!」たくちゃんが叫びます。
長浜 真心さんとは手紙でしか連絡が取れず今日の訪問を手紙で連絡をしていたそうですが、伝わったかどうか ちょっと心配だったようですがちょっと安心にかわりました。その真心さんの軽トラックを見れば 彼がどのように生きて見えるかがよくわかります。
礼拝所「ジャネー洞」はその行き止まりの場所からすぐのところにありました。
真心さんは若者たちに20年間にわたって さまざまなことを教えてみえたのですが もう今はやめて というかあきらめてこの藪地を守る番人のような存在となったようでした。
マミ夫妻にとっては3度目の藪地訪問に際しどうしても 父を連れて訪れたい希望と決意があるようでした。さまざまな形の石灰石が垂れ下がる 鍾乳洞のような礼拝所はそれこそさまざまな意識が混在する場所でもありました。
その場所のどこが感じるかを 娘に問われましたが?あまりどこも感じることも無く 適当にここら辺かなあ~て答えていたら 真心さんが現れました。
まるでモーゼのようないでたち というかボロボロのズボンに汚れて黄色くなったTシャツを右の肩にかけて 上半身は裸です。ですがその目のきれいさに 思わず握手を求めました。真心さんは洞窟の中で話しはじめました。
「さまざまな方たちがこの地を訪れ そして消えていった。物質におぼれたサタンに支配されたかのようなこの国や世界を新しく立て直さなくてはならない。 そのために20年間にわたって説いてきたのだが みんな去っていってしまった。」
夕暮れが迫っていた。
読谷村からGさん親子が到着した。
真心さんが先頭に立ち ハブに知らせながら 細い道をまさに藪地を岬へと向かう。7人が絶壁を歩く。
40メートルほど下の海面を見れば洞窟のような入り口。
「あそこに入っていくと回廊や部屋があって 古代の住処だとわかる。」
と真心さん。
子供だけでは大変に危険な感じ。足を滑らせれば 間違いなく命を失うだろう。途中 アメリカの海兵隊の若者なのか 二人組と行き交う。
なにか 不思議な感じ。
いよいよ岬が近づいてくる。
十和田以来のあの不思議な感覚が迫ってくる。
真心さんの説明をよそに足は一人先に岬へと向かっていた。
不思議な海のかなたから 魂を揺さぶるかのような感覚が迫る。
「お前は逃げた。 お前は俺たちを捨てた。」
「今度は 間違えない。 今度は逃げない。」
溢れくる涙を 慟哭をなつかしむかのように魂が呼応する。
7人が岬に座り 何かを真心さんは語っていた。
Gさん一家のお母さんは 泣いている。
マミも泣いている。
6ヶ月も原因不明で入院していた小六の少年は類まれな霊能力で 古代に語りかけ 応答を得る。
帰途 スーパームーンの日の大きな月が東の空から薄い白さで登ってくる 同時に太陽は西のそらに真っ赤な火となって沈んでいく。
それを同時に映す なんという光景。
喚声があがる。
ジャネー洞に戻り礼拝し お月見の地に移動する。
途中の展望台から 藪地の古代岬を展望する。
昼の藪地岬。
まさに満月の瞬間か
十和田神社での体験から 藪地へといざなったマミちゃんあなたのおかげで もうあきらめて忘れていた感覚をこの人生の終盤で 思い出すことができました。
伊勢の地を何度訪ねても 感じられない霊が根の国底の国 藪地にて、そのことを知りました。
感謝でいっぱいの沖縄でした。