吉田 松陰 「親にあてた永訣の一首」

山口県萩の「松下村塾」にまいりますと、
塾の近くに松陰の永訣の一首の説明の案内版が
あります。
直筆の模写と共に、その句の解説に心が
震えます。

短い生涯の松陰先生でしたが、親にも手紙を
出すことがあまりなく、いよいよ安政の大獄に
より処刑される日がきました。

「親思うこころにまさる親ごころ
きょうの音ずれ何と聞きくらん」

尊王の大義を唱え国事に奔走した
松陰先生の言動が当時の幕府を刺激し、
いわゆる安政の大獄に連座して江戸
伝馬町の獄に投ぜられた。
いよいよ処刑を覚悟した先生が安政六年(1859)
十月二十日郷里の両親達に書き送った
便りの中にある永訣の一首である。
享年三十、まことに親を思う孝子の至上の表われであり、
断腸血涙の絶唱である。

「親思うこころにまさる親ごころ
きょうの音ずれ何と聞くらん」

子は親のことを思いますが
そんな心にもはるかにつよく
大きな心が親が子を思う心でしょう。
このたよりで処刑されるときが近いことを
父上母上はなんとお思いになることでしょうか。

学びの道には、25の句碑が並んでいます。

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」

死んでも朽ちることがなく名を残す見込みがあれば、
いつでも国家社会のために死すべきである。
生きて国や人のために大きな事業ができる見込みがあれば、
いつでも生きていくべきである。