熊本へ 「ほんとうのこと」

純粋にお人に逢いたいと思いました。

それで呼びかけに応じられた12人の
同志の皆様と共に熊本へ向かいました。

令和4年3月26日(土)のこと。

小牧空港から前日先発したお一人を除いて
当日は9名が小牧から、そして2名がセントレアからの
フライトとなりました。

熊本空港で午前10時の待ち合わせ。

時間通りの出発となったセントレア発と
違って、小牧発は40分遅れで先着の予定が
逆にセントレア組が熊本到着後待つ展開となりました。

そしてその日の必然の如くの出会いと縁が
展開していきます。

セントレア発の仲間のOさんは昨日決めた席が
18列の窓側A席でB席は初めてのお出会いの方。
そして同じ18列のいつものように通路側のC席が自分。
それだけでもビックリします。

お隣の窓側D席には始めてのお出会いで、後に
やはり昨日席を決めたことがわかったTさんでした。

Tさんへの「荷物あげましょうか?」のお声がけで、
「なんか明るそうなおじちゃん。
なかなか荷物のこと思っていても言えないのに・・・
でも1時間話続けるとめんどくさいな」と思って、
早くもあやしい雰囲気を与えてしまっていたようです。

それで熊本行の理由を初交換言葉。

「この本を書かれた89歳のおじいちゃんに
会いに行きます。12人で。」

彼女は「久々に10日間のお休みが取れたので
帰省します」で終わりそうだったんですが・・。

何を彼女は思ったか、画家塔本シスコさんの話題を
投げかけ、さらにシスコさんの画集を見せてくださったんです。

「熊本で展覧会があるというんで
それも見たくて・・・」

ものすごく鮮やかな、いわば田中一村さんのような
ふしぎな絵を描かれる人、塔本シスコさん。
絵に圧倒されて真剣に本を読んだり、画集の
絵の感想を述べあっていました。

しばらくして一枚だけ持っていた名刺をお渡ししますと、
彼女も名前を名乗られました。

その姓をお聞きして、高山の霊能者と同じ姓であること、
そしてその人の瞑想の方法の持論を少しお話してからが
ものすごく話がラグビーボールのように弾んだんです。

飛行機はまれにみる揺れで、みなさんは天に祈るかの
ような機内の心配感あふれる雰囲気の中、あっという間の
熊本着。

どんという振動でお話がやみ
「15分間くらいに感じました」
「こちらは3分ですよ」の最後の言葉かわしです。

塔本シスコさんの個展は、近くには4月に岐阜で開催です。
きっと行きます。

熊本空港に着いてもご縁は続きます。
結構長く待つため、ビールとコーヒーで
Oさんと休憩中に通路を行くTさんに再び声掛け結局
一緒に続いて談笑です。

彼女から「いきなり団子」のプレゼントつきです。

三人での談笑でTさんとOさんは同業ですので、
なお話しがはずみます。

一年半で別れた元カレの御両親とは20年も
お付き合いが続き、本日もセントレアに送ってもらったよし。
それもビックリ人とのご縁。
そのお父さんの語ったというお言葉がこちらの心に響いて、また
お会いしたい人ができ、Tさん3人こちらは2人の宴会を
名古屋で開催のお約束となりました。
大須かな?

その後遅れて到着の仲間たちにもTさんを
お引き合わせし一旦のお別れです。

もうここまでで十分に熊本訪問の意味が
解った気がしました。

いよいよ、いつも喜びで「在る」89歳のおじいちゃんとの
出会いが待つ市内の公民館へ3台のレンタカーで向かいます。

昭和な公民館に12人が集まり軽いお食事後
「天使の会」の二階会場へ行きますと、
すでにその人大河原一精さんは着席してみえました。

手元の珍しいというメモは初めてのたくさんの
名古屋からのお人に話すためだったのでしょうか。
有難いと感じました。

すこしお声が小さくそれだけにこちらは集中の必要があって
「大事な話は小さな声で」の鉄則は生きていました。

「もう50年は話しして、癒ししている。
出来ると思うと楽しくてしようがない。
どんなことがあっても誰にでも守護神がついているので
大丈夫です。」

この道に入るまでの大垣や九州での出来事、そして
仕事が終わった後、人の為に癒しを実践できることの
喜びが50年も続いていること、たくさんの癒しや
人のこころの変化による現実の大変化の例をお話されます。

お母さんのおなかにいるころから
「人の役に立つために生まれる」
はっきりとした使命感どおりに、まか不思議な
現実までも現象化して行かれます。

その後20名を超える人々が仰向けに寝て
順番に大河原さんが癒していきます。
30分間ほどでしょうか。
三回くらい巡回。
さまざまな反応が生まれたようです。
膝が痛かった方が治ったり、からだが軽くなったり、
温かくなったり、うなったり。(笑)

その後二人ずつ大河原さんの左右にうつぶせになり
施術を受けました。

癒しに対価を求めないことが89歳の今日まで
天の使いとしてお役を続けられている理由と感じさせます。

89才。
話すほどに、癒すほどにお声が強く。
そしてお顔が赤くつやつやされてまいりました。

89才までやれるぞーー!!。
強い勇気をいただきました。
大河原先生
ありがとうございました。

とここでもう目的達成、あとはいつもの飲んだくれ。
のはずでしたが、まだフィナーレの奇跡が待っていました。

はじけた熊本での会食。
そしてもっとはじけたカラオケ!!

翌日は思い思いの自由行動です。

ただ一名セントレア発の相棒Oさんは午前7時から
一人でレンタカーを借りて高千穂神社へと向かいました。
ニニギノミコト関連です。

帰りのフライトの3時15分には熊本へ楽々戻れるはずでした。
途中「2時半には着きますので」と安心メール。

待合所は人でごった返しています。
熊本での二日間3回開催の「ジャニーズ公演」めあての
若者が大勢。
小牧組の出発は時間通り。
みなさんとお別れしてOさんを待ちますが、
2時半を過ぎても来ません。

ところがセントレアからの到着便が遅れます。
それで3時15分が45分に30分の遅れ。
安心してメール。
その内さらに15分遅れますとアナウンス。
またメール。

到着したOさんは焦っていた様子。
「レンタカー屋さんの周りが工事中で
3回もくるくる回っていました。」

「高千穂神社で大祓祝詞10回あげました!!」

すごっ!

それでいただいたご加護の遅れでしたか。(笑)

すべて大丈夫。

「南無阿弥陀仏」の「南無」って「お任せーー」という
意味と聞きました。「阿弥陀様にみーーんなお任せ!」
ですね。

いつも喜びで「在る」。

大河原先生のお顔が浮かびました。

セントレアでの夕焼けが二日間のご褒美でした。

※「ほんとうのこと」大河原一精 著
アマゾンでも発売開始となったようです。