「毎日毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が
愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きている
だけである」
飯島さんはかって「みんな死んでいるようなものです」
といいながら「死はない」とも言われました。
死んでいるように生きているって
どんなことでしょうか。
「愛」の座を奪ったあの一瞬・・・。
そうですね「分離」したあの一瞬かも。
そして人生上で常に「分離」しがちな自分。
だから分離しているかぎりは真に生きているとは
いえず、「死んでいるようなもの」かもしれません。
本当は実在したことのない隔たりを越えるときまで、
毎日死んでは再び生きることを続けているのでしょうか。
「愛」に生き、「分離」をなくせばそれは
「死のない生き方」に通じるのでしょう。
「死」の象徴でもある病気はもちろん分離から
生じています。分離がないと否定されたときに
病気は消えるようです。
それは病気をもたらした想念が癒されるときで、
そのとき病気は消え去ってしまうようですね。
3月1日、昨日が飯島さんが肉体を離した日です。
そのときから五年です。
「毎日毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が
愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きている
だけである」