「自我がなければすべてが愛になると保証する」
すべてが愛になった情景とは、というか
情景はないかも知れませんが、どんなでしょう。
三重の友人は若いころの何か月かに
そんな体験をなさった様子です。
すべてがきっと活き活きとして
みずみずしく匂い立つがごとく美しい
世界が広がっていたのでしょうか。
愛。
ですからきっと情景そのものが自分であって、
なにものとも分離していない感覚なのでしょうか。
そしてすべてのものが、自分こそ唯一の源であることを
教えてくれるのかもわかりません。
自分が分離していないものとして経験し始め、
それを継続していることで、
いつの日にか、形象の数々がすべて消え去り、
自分がいかなるものであるか知らないとわかるときが
くるのかもわかりません。
そして自らの持つ力をほんの一瞬でも使えば、
再びそれを否定することはなくなるのでしょう。
「時間のことは気にかけずにいなさい。
またすべての恐れを取り除く聖性の瞬間を
恐れることはない。平安の瞬間は、そのとき
恐れがないからこそ永遠なのである」
自我のない自分なんてつまんない、完全なんて
つまんないと、思われるかもしれませんが、
きっとそれらの恐れとははるかに遠く、比較にならない
至福感に満ちた人生が待っているのでしょうか。
「自我がなければすべてが愛になると保証する」