「絶対的真実を早く体験する方法を見つける」
チベットの密教の修行僧は常に楽しそうで
常に「在る」状態と聞きます。
そうじゃない方もいらっしゃるでしょうけれど。
「絶対的真実」ってのが最初の問題ですね。
まず求めなければ。
今の現実に見ている世界を絶対的な真実だと
思われているのだったら、遠い世界観になるようです。
ですから今見ている世界は絶対的、すなわち絶対不変の
真実とは程遠いと、まず確信する必要がありますね。
それなら何が「絶対的真実」なのだろうと求めることが
最初の一歩でしょうか。
言霊「ウオアエイ」もダライ・ラマさんの「ギャテーギャテー・・・」の
解説もまったく同じことを言っています。
ウ 発心し求める、考える。
オ そして学ぶ、聞く。
ア 見性する。
エ 見性の体験通り行動する。
イ それを続ける。
以上の5つです。
体験とは「見性すること」。
たいていの先師は「瞑想なくして見性なし」と
語りました。
瞑想の方法はたくさんあるのでしょう。
ただ求めても得られないのも真実です。
もっといえばきっと求めるならば得られないし、
求めなければ得られない。
なんと、難しそうです。
しかし「人参から宇宙へ」のAさんは農業に専心し
大きな人参ができてそれに触れたときに、見性します。
求めて求めてやまなかった方が、求めることを忘れて
しまって、一時に集中しているときに見性します。
もしかしてマラソンの「ランニンングハイ」なんかも
一種の見性かもしれません。
まだ走ってますけど、走っているという意識が消えれば。
そんなことどうでもいいのでまず毎日の幸せ。!
そう思われる人はそれでいいですね。
それでもそれは人間として生まれさせていただいたうちの
今まで体験したこともないような、そして現実の
喜びとか感動とかとは比較にならないようなものだったら
どうでしょうか。
一旦の見性後は、それ以後の人生を一変させることでしょう。
そして以後、自我の執拗な攻撃さえも「愛」に融合
させることが可能になるのかも知れません。
「いかなる種類の恐れからも完全に自由」
となるようです。
「絶対的真実を早く体験する方法を見つける」