森信三先生の言葉 13~なにゆえ師は、人生における光・・

 なにゆえ師は、人生における光であり力なのでしょうか。思うに師とは、真理が一人の生きた人格を通して具現せられた存在だからであります。ですから、もし人間がただ単に書物だけを読んで、生きた一人の師に就くことをしなかったならば、その人が如何に「道」といい「真理」といいましても、畢竟(ひっきょう)じてそれは未だ机上の論を離れない処があって、真に身を以て体験した道の真趣には至り得ないといえましょう。
 ですから古来卓れた人々で、師を持たなかったという人はなく、また師を尊敬しなかった人はないのであります。それというのも師を尊敬するということは、結局は「道」を尊敬するということであり、否、「道」そのものを最も深く、その具体現実の相において把握することだからであります。

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 真の学問とは、自分の気質根性を改める力のあるものでなくてはなりません。そこまで行かないものは皆ニセの学門です。ところが、自分の気質を改めるということは、実に至難中の難事であって、生涯をかけての大事業です。お互い人間というものは、死ぬまでにはスーッと透き通るように、キレイになって死にたいものです。屍体の方は後に残った人が浄めてくれますが、心の方は自分で浄めて死なねばなりません。