「罪なき心には苦しみはありえない」
罪のない心とはなんでしょうね。
罪だらけ。(笑)
ようするに過去のことの数々の体験で
たくさんの罪を犯してきたことを悔やんでいる心。
その反対で、それらのことを罪だと思わない心でしょうか。?
冷酷?か無関心。?
それならちょっとおかしい感じですね。(笑)
罪はこの現実でおきることを罪と感じる
自我のなせる攻撃ととらえることができると、
わかってきそうです。
この奇跡への道で幾度も幾度も出てくることの
基本的なこと「自我は実相を恐怖し、聖霊は自我を知らない」
ことが心から知れないとわかりにくいですね。
たぶんこの項まで進んだすべての言葉が「???」で
きっと読まれることもつらいかもしれません。
罪(分離)は一度もなかったのだと知る。
分離によって起きるのは苦しみです。
自我は次々に現実という幻想を送ってきます。
そのすべてを「真の赦し」によって、なかったことと
していけば、奇跡(実相)への道を歩いています。
「私はあなた。私はすべて」であるならば
罪(分離)はありません。
したがって苦しみはありません。
すべては与えられた強い自由意思が決めます。
どう思おうとすべては自由です。
ただ創造したものは創造されたものと一つ。
その願いはただ二つが同じ意志となっていることでしょうか。
「愛は不満を抱かない」
「罪なき心には苦しみはありえない」