霊性の旅~日月神示の源流を訪ねて(ラストツアー)

中国上海での人生初の霊性の響きに共振した
体験がきっかけとなり、この国や世界での数々の
響きの体験は始まりました。

ですがこんなにも魂を揺るがす体験は始めてと
なりました。

その旅は「日月神示の源流を訪ねて」と題して始まります。
いつもに似ず参加者8名の少数の旅、しかも
現代の日月神示と呼ばれるNさまによる
御天画の学びを長く続けている方7名と
比較的経歴の浅い1名様の参加です。

令和5年9月23日~24日。
それは日本の国譲りの神話の息栖(いきす)神社
香取神宮が皮切りとなりました。
そして翌日の鹿島神宮。

ですが目的はそして響きは翌24日の麻賀多神社内の
天日津久神社にあることは最初からの確信でした。
できればそこでゆっくりと感じていたい希望が
魂の底から湧いていました。
旅立つ前からワクワクしていたのです。
“霊性の旅~日月神示の源流を訪ねて(ラストツアー)” の続きを読む

再録 霊性の旅 1 〜 始まり

「霊性の旅」の再録をさせていただきます。

この国や世界のさまざまな場所を
訪れた時、また新しいお人に新しい
お出会いのご縁をいただいた時に
心を震わす霊性の響きがある場合がありました。

その響きは、人として培った環境による
さまざまな「判断」によるものではなく、
また感激や感動によるものでもない、
ですから今生の体験によるものではないわけです。

それなのに心が震える。

なにか特別な想念思念の「場」にある残存想念が
「今」ある人間に移って鏡のように再現するもの
かも知れません。
ですから過去世とかなのではないのかもわからない。

私たちは「すべてのすべて」なのですから、どんな自分も
選択が可能です。その昔尊い者であっても
また無宿の者であっても思った通りの自分を
選べます。
「今」という時にはです。

ここから再録の始まりとなります。

よく聞かれることがあります。
「いつ頃からそんなような考え方になったんですか。?
何かきっかけってあったんですか。?」
そんなに不思議なんでしょうか。

40歳で小さな建材販売の会社の代表になって、
どんな人でも成功しただろうといわれるバブル期の
絶頂期を体験しました。
“再録 霊性の旅 1 〜 始まり” の続きを読む

再録 霊性の旅 2〜 人探し不動

Nご夫妻とご縁をいただく以前にも、幼い頃から
さまざまな不思議な体験があったことを思い出します。

四人の子供を一人で育てた母はやさしくて強い母でした。
でも一人で子供を育てることの不安や経済的なこと
健康のこと、多くの不安が新興の宗教へと導いたのでしょう、
宗教オタクのようにさまざまな団体を転々としました。
“再録 霊性の旅 2〜 人探し不動” の続きを読む

再録 霊性の旅 3〜 「あれもそうなら これもそう」

先日の埼玉テネモスさんで心に残った言葉があります。
故知花敏彦先生の言葉です。
ゆかりの方から教えていただきました。

「あれもそうなら これもそう。」

私達は例外を、または不思議なことを想念から除外して
考えがちです。そうでないと何か現実の世の中を
生き難いからでしょうか。
でも例外が全部だと知花先生はおっしゃった気がします。
「一つそうなら すべてそう。」
“再録 霊性の旅 3〜 「あれもそうなら これもそう」” の続きを読む

再録 霊性の旅 4~ 過去に未来が・・・

今朝クッキングバンブーの使用感想が届きました。
ここから
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日、ぶくぶくを購入したものです。
使用結果を報告させていただきます。
スーパーで特価で売っている、一袋100円の椎茸を購入しました。
ジプロックに入れて、ぶくぶくをしました。
3時間ぐらいです。
2倍近くになりました。ものすごい高級な椎茸になりましたが、
それをベランダで干しました。
お洗濯に使う洗濯リングに椎茸の軸を挟んで、3日、そして一週間干しました。
市販の干しシイタケができました。
そして、それをお水に入れて、もう一度、ぶくぶくをしました。
普通、干しシイタケはゆっくりと戻すので、一晩かかります。そうすると柔らかく、ごりごりと固い部分がありません。
でも、10分ぐらいすると、大きくなって、ふっくらとして、30分ぐらいで戻りました。
どうしてなのか、わかりませんが、結果だけ報告させていただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宇宙は常には0に定まっています。
現実の世界はなんらかの作用反作用の法則が働いて
常に変化をしています。
“再録 霊性の旅 4~ 過去に未来が・・・” の続きを読む

再録 霊性の旅 5~ 玉仏寺

gyokubutu.jpg
実は人生の初めての体験は上海であったのだった。
ここから霊性の旅のはじまりとなった。
玉仏寺(上海)
上海から南京への移動は中国東方航空。
出発時間が1時間ほど遅れたでしょうか。
飛行機は上海飛行場を飛び立ちました。
ところが地面がすぐ下に見える状態が続き、
何度もエンジンの回転を上げる、フーンブーンという音がしました。
機内の誰かが「上昇しないな。危ないな」と不吉な事を言いました。
皆さんの不安の顔。緊張…

“再録 霊性の旅 5~ 玉仏寺” の続きを読む

再録 霊性の旅 6~剣 山

1994年7月16日。K女史・M氏と共に名古屋空港を発つ。
M氏の切符は高知行き。K女史と二人の切符は高松行き。
出発直前にそのことに気づき二人にあわせて、M氏は高松行きに切り替える。
高松空港着。待ち合わせ時間に誰もみえない。
携帯にて企画者の高根女史に連絡をとる。
高知が待ち合わせ場所だった。
今日は全員で空海悟りの地、室戸岬を訪ねる予定だった。
我々は電車を乗り継ぎ、タクシーに乗り、メンバーと出逢うべく高松を発つ。
連絡をとりながらだがなかなか逢えない。途中の小さな駅近くでやっと出逢う。
一路、剣山近くの宿へ、桂橋近くのお宿到着。なんと二十才の頃キャンプした河原の前の宿だった。

“再録 霊性の旅 6~剣 山” の続きを読む

再録 霊性の旅 7~イスラエル ネボ山

魂の旅 ~ネボ山・イスラエル失われた民族を訪ねて~
モーセロミュロス。40年間にわたって、30万人の民を
従え約束の地をめざした人。
1999年5月。その約束の地エルシャライム(エルサレム)をはるかに
臨むネボ山にたっていた。
故糸川英夫博士の想いと遺骨を届ける旅は、糸川博士の愛弟子
・津のAさんの企画だった。
1948年イスラエルは建国宣言された。初代首相は、故デビ
ッド=ベングリオン。ベングリオン首相の建国の志は、
「荒地を緑の地にかえよう」
だった。そして世界に散りじりになった民族同胞はイスラエル
に戻れと鼓舞し、先住民族ベドウィンの緑地化技術を世界の人
々に教え伝えようではないかと宣言したのである。

“再録 霊性の旅 7~イスラエル ネボ山” の続きを読む