致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 7 「咲子はまだ生きていた」

藤原 咲子 高校教諭・エッセイスト

 病との戦いに奇跡的に打ち勝った母は、やがてその壮絶な引き上げ体験記「流れる星は生きている」を書き上げ、作家藤原ていとして一歩を踏み出しました。だがそこにいたのは私がずっと待ち続けてきた暖かくて優しい母ではありませんでした。幼子三人の命を失うことなく引き揚げという苦境を乗り越え、成功者として社会から讃えられる母だったのです。私は兄たちよりずっと厳しく育てられました。少しでも甘えようものなら「あんなに苦労して連れ帰ったのに、いつまでもわがままいうんじゃない」という言葉が返ってきました。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 8 「平和のために働く人は神の子と呼ばれる」

古巣 馨 カトリック長崎大司教区司祭

 ミネやんとの出会いは島原の小さな教会に赴任した時でした、。その頃、私は郊外にある精神科の病院を訪ねるのが楽しみでした。職員や仲間から「ミネやん」の愛称で呼ばれる信者さんが待っていてくれたからです。心が通い始めた頃、私はミやんに尋ねました。
「きつい時、「聖書」のどのみ言葉が支えになってきましたか?」「神父さん、私は中学校しか出とりませんから、難しかことはようわかりません。でも、せっかく洗礼を受けて神様の子どもになりましたから、死んだとき「あぁこの人は神様の子どもだったんだ」って言われてみたかとです」。そう言ってミネやんは、たまたま開いた「聖書」に「平和のために働く人は幸い、その人は、神の子と呼ばれる」という言葉をみつけ、これこれと意を決しました。「だから私は平和の為に働くとです」。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 9 「お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか」

上月輝宗 永平寺監院

 母にとっては待ちに待った息子の戦地からの帰還です。何とか一目でいいからあわせてほしいと懇願し、やっとの思いで院長の許可を得ることができました。病棟に案内されると廊下のむこうから「わぁ!」という訳のわからない怒鳴り声が聞こえます。どうもその声は、自分の息子らしい。毎日陰膳を備えて無事を祈っていた自分の息子の声である。たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって足早に病室に飛び込みます。するとそののベッドの上に置かれているのは、手足をとられ、包帯の中から口だけが覗いている”物体”。息子の影すらあません。声だけが息子です。「あぁ!」と母は息子に飛びついて、「敏春!敏春!」と叫ぶのですが、耳も目もない息子には通じません。それどころか、「うるさい!何するんだ!」といって、残された片腕で母親を払いのけようともがくのです。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 10 「刃で刺されても恨むな。恨みはわが身をも焦がす」 

山口 由美子 不登校を考える親の会「ほっとケーキ」代表

 2005年西鉄バスジャック事件から五年がたち、教官が「いまなら」と判断され、私は少年との面会が実現しました。そして彼に「誰からも分かってもらえず、つらかったんだね」と伝えました。彼もまた私に心からの謝罪を述べてくれたと思っています。
 その後、彼は出所したと聞いています。今後もう二度と罪を犯さず一生を送ってほしい。それでこそ、私の傷も、被害に遭われた塚本達子先生(幼児教室主宰者)の死も生きるのではないかと思うのです。
 事件から二十年以上がたちますが、その後も少年犯罪は後を絶たず、抑止力として少年法の刑を重くしたり、適用年齢を下げようという動きがあります。しかし、そういう子供たちを生み出しているのは、ほかならぬ我々大人社会です。大人が変わらず、ただ刑を重くしても、何の解決にもならないと思うのです。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 11 「鬼塚さんの供養祭」

林 覚乗 南蔵院住職

 長崎県の時津町に、打坂という急勾配の坂があります。そのバス停のそばに建てられている記念碑とお地蔵さんの前では、毎年慰霊の行事が執り行われています。
 昭和二十四年のことです。地元長崎自動車のバスが乗客を乗せて、この坂を上がっていました。坂の半ばに差し掛かったとき、突然エンジンが故障し、バスは止まってしまいました。
 運転手はすぐにブレーキを踏んでエンジンをかけなおそうとしましたが、ブレーキが利かない。補助ブレーキも前身ギアも入りません。三重のトラブルが重なって、バスはずるずると後退し始めたのです。そのバスには、鬼塚道男さんという二十一歳の若い車掌が乗っていました。運転手は大声で、「鬼塚、すぐ飛び降りろ。棒でも石でも何でもいい、車止めに放り込んでくれ!」と指示しました。鬼塚さんはすぐに外へ飛び出し、目につくものを車輪に向かって片っ端から投げ込みました。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 12 「私たちには帰れる祖国がある、大地がある」

杉山 まつ ワシントン靴店 創立者

 当時、台湾は日本の植民地でしたから、たくさんの日本人が住んでいました。農産物が豊かで治安のよい台湾を、私たちはすっかり気に入って永住の地と決めて暮らしているうちに、いつの間にか十年が過ぎてしまいました。
 台湾は日本の敗戦と同時に無政府状態になって、不穏な空気は日増しに強くなるばかりでした。身の危険を感じた日本人は、ひっそりと家の中にこもり、一日も早い帰国を望んでいました。その時、蒋介石総統は、「恨みを以て恨みに報いず、それを犯したものは極刑に処す」という内容の広報を出しました。そのおかげで、無事、敗戦の翌年には、台湾に住んでいた五十八万の日本人は、日本へ送還されることになりました。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 13 「愛語の力」 

酒井 大岳 曹洞宗長徳寺住職

 私が県立女子校の書道講師として奉職間もない頃、小林文瑞という大先輩の先生がいました。小林先生は私のように僧籍を持ち、西田哲学や仏教思想に精通していました。百九十センチ近い大柄な方でしたが、一緒に食事をしていた時にこうおっしゃるのです。「酒井先生、「般若心経」というお経があるでしょう。きょうは一つ私にそれを説いてください」「それは無理です。読めと言われればすぐに読めますが、とても説くことなんか」「すると一瞬先生の表情が変わり、「馬鹿者!」と頭ごなしに私を怒鳴られるではないですか。「あなたは今日、私の隣の教室で授業をやっていたね。一人休んでいた子がいたでしょう。
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致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 14 「金メダル獲得の原動力」

古賀 稔彦 柔道家

 日本に帰国すると、私を取り巻く環境が驚くほど一変していました。成田空港から出発するまではマスコミで散々取り上げられ、「頑張れ頑張れ」と声援を受けていた私が、一点して誹謗中傷の的となったのです。「古賀は世界では通用しない」「あいつの柔道はもう終わった」など、なぜそんなことを言われなければいけないのかとただただ憤慨するばかりでした。そして気づけば、私の周りからは潮が引くように誰もいなくなったのです。人間なんて誰も信用できない。この時、私は人間不信に陥ってもおかしくないくらい激しく気持ちが落ち込み、とにかく人目につくのが怖くて、自分の部屋に閉じこもりました。
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