再録 奇跡の道 その61~夢に支配されて、あなたの目を閉じてはならない

「夢に支配されて、あなたの目を閉じてはならない」

え~~!!(笑)

目を閉じているときに見るのが
夢でしょう。!と言うお声が聞こえそうです。
その夢になんか、支配されるわけがない、と。

まず夢ってなんで見るのでしょうか。

これは現実での自我による知覚を通じて
眠った時(目を閉じたとき)に見る夢を、
真理の代替とするのには、この自我による
知覚の夢が最良の実例になりそうだからですね。
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再録 奇跡の道 その62~代用することが不可能な唯一の感情は愛

「代用することが不可能な唯一の感情は愛」

愛ならいくらでも何度でも(笑)行けそう!と
すぐに特別な関係を連想しがちです。

ある一部や一部分が対象でなくて、
あらゆるもの、人に関して、まったく分離がない状態が
おそらく唯一の感情と言われるのでしょうか。
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再録 奇跡の道 その63~天国とは場所でもなく、状態でもない。・・

「天国とは場所でもなく、状態でもない。
それは単に完全なる一体性についての自覚」

なにかあまりはっきりしませんね。

「天国」とかあるのかないのか知りませんが
「地獄」もたいていはあることが行われている
場所って考えがちですね。
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再録 奇跡の道 その64~誰もが自分を超えたところに・・・

「誰もが自分を超えたところに運ばれる感覚と
呼べるような体験をしたことがある」

いよいよ至福の感覚についての記述が
多くなってきました。

スポーツ選手なら、ランナーズハイとか、
全てを出し切った時の至福感。
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再録 奇跡の道へ その65~真理を幻想のもとに、実相を・・

「真理を幻想のもとに、実相を空想のもとに
運んでくることに人生を費やしてきたあなたは、
夢の道を歩んできた」

今世界で起きていることが、あまりにも
はげしくて、これがとても幻想だなんてと、
またのんきな父さんだ・・とのお声が聞こえそうです。
(笑)

目の前に起きていることは、ただ「受容」するしかない
ようですし、それをどのように感じるかは
すべて個人の自由意思に任されています。
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再録 奇跡の道 その67~私はなにもする必要がない

「私は何もする必要がない」

アレレ する必要がないと言うことは
必要なものはいつもすべてある ということですね。

そして、まさかのこの言葉を ただの一瞬でいいので
信じ切れば、1世紀にわたる観想以上のものを
あたえられると聞きました。

どうも肉体次元で考えがちな自我人間なので、
「み~んなお任せ」の心境にはなかなかですね。
この「み~んなお任せ」でのうてんきだと
肉体の病気も消えるようですね。
だってないものをあると決めているのは
自我のこころですからね。
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再録 奇跡の道 その68~赦しでさえも終着点ではない。・・

「赦しでさえも終着点ではない。赦しは麗しさを
もたらすが、創造しない。それは癒しの源ではあるが、
愛の源ではなく、愛の使者である。」

自分と兄弟を赦しても、また赦しても
それは麗しさを感じるだけであって、
決して創造はできないようですね。
だから癒しの源を感じはしますが、
愛の源を感じることは出来ずにいて、
赦しはただ愛の使者とはなる様です。

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再録 奇跡の道 その69~学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを・・・

「学びが終わるのは、愛ではないすべてのものを
あなたが認識したときである」

愛ではないすべてのものを認識したとき。?

それではすべては愛であると魂の底から、
そしてそのことさえも感ずることがなくなるとき。?

見るもの、聞くものすべては愛と。

そうですよね、愛って学ぶようなものでなくて
もともと愛ですね。
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