2006年6月6日以来、人生は娘一色となりました。
いやその前の2月の飛び降り以来といってもいいでしょう。
親の責任とかというような義務を飛び越えています。
人は何故ここに生まれるのか。
そしてさまざまなことを何故体験するのか。
結局はわからないので、わかりませんと言うしかない。
でも分からないがゆえに少しでも機嫌よく生きようじゃないか、
それがこれまでの結論です。
“再録 ある道のり28~いのちの実相 11 生気への道 2~” の続きを読む
さまざまな情報をお届けしています。
2006年6月6日以来、人生は娘一色となりました。
いやその前の2月の飛び降り以来といってもいいでしょう。
親の責任とかというような義務を飛び越えています。
人は何故ここに生まれるのか。
そしてさまざまなことを何故体験するのか。
結局はわからないので、わかりませんと言うしかない。
でも分からないがゆえに少しでも機嫌よく生きようじゃないか、
それがこれまでの結論です。
“再録 ある道のり28~いのちの実相 11 生気への道 2~” の続きを読む
土木会社に勤めて、4年間が経ちました。
最後の現場は、日光と宇都宮を結ぶ道路です。
その完成を見る頃に人生の分岐点となる決断を
迫られます。
“再録 ある道のり13~新しい道へ 1~” の続きを読む
住んでいた場所は、戦前の市場。
東西に走る二車線のまだ土道の道路の
南側にそこはありました。
近所の人は「マーケット」と呼んでいました。
“再録 ある道のり 3~二人の父親がわり 1~” の続きを読む
令和5年5月27日土曜日に、ほぼ一年ぶりに
テネモスさんご訪問をいたしました。
新しい予定次期社長さんへのご挨拶の為です。
テネモスさんの社員さんを含め5名の皆様から
大歓待を受け、冷酒まで賜りました。
昼食の素晴らしいお弁当をいただきながら
さまざまな意見交換をいたしました。
“埼玉 テネモスネットさん訪問 R5 5/27” の続きを読む
この世、この時、人間に生まれてきたのは、
人の世の役に立つために生まれて来たんだよ。
今のマスコミ時代に生きる人々は。
エゴイスティックな気持ちが盛んに
心に燃えていやしないか。
坂田先生! ありがとうございました。
幾度かの坂田道信先生との出会いのチャンスが
ありながら先生の講演会との日程が合わず、ようやく
その場がいただけました。
名古屋国際会議場の一室での講演会です。
一番後ろの席で、こっくりこっくりと隣の居眠りする家内の
横で、自分は幾度も涙を流していました。
初めての出会いとなったその日、講演終了後
坂田先生のもとにかけよりご挨拶をさせていただきました。
「先生、やっとお会いできました!」
そのお声かけに先生は
「会っても何にもならんよ!」と謙遜でしょうか。
“追悼 坂田道信氏 「致知」より” の続きを読む
作日自宅に広島県尾道市在住の友人
M女史から「尾道しまなみ新聞」が
送られてまいりました。3000部発行の
無料の新聞で有志の発行によります。
2023年4月発行の第20号は同じ尾道市に
住まいする川原作太郎さまの特集です。
偉人森信三先生の三賢弟のうちのお一人です。
後のお二方は亡き寺田一清先生そして先日
他界された坂田道信先生です。
ご健在は川原作太郎さまのみとなりました。
若き日の坂田先生が敬愛する森信三先生に
始めて会いに広島向原から宝塚へと50CCの
バイクで走り、先生の家を捜しあて、ガラリと戸を
引いて家の中へとお声をかけますと、
森先生が現れてたまたま中にみえた寺田様、
川原様を共に呼び、
「ここにもいたよ。。」とつぶやかれたとか。
“森信三先生の三賢弟 R5 3/29” の続きを読む