ほうろく菜種油 篠島のしらす 虹色ベビーリーフ

友人の真野さんが携わっています。
もしご興味がありましたら以下までご連絡ください。

aitowarai@i.softbank.jp
09083240091  真野さん

菜種油はこちら  安心で酸化しにくいです。

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説明書き 昔の製法どおり薪で

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この会社が作っています。 株式会社 イヤシロチ

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虹色ベビーリーフもOk

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知多半島の先の島 篠島のしらすも

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試食させていただきました。
新鮮でおいしいです。

「あなたの中の やんちゃな神様とつきあう方法」 金城幸政さん

笑ってしまう面白い人です。
でも泣いてもしまいます。
その人金城 幸政さんのユーチューブです。

そして著書 「あなたの中の やんちゃな神様とつきあう方法」です。ここにいる大切なわけ、男女が何故わかりあえないのか、子供とどう接したらいいのか、ひとつの意識がこたえを生んでいます。

黙想の再開

毎日の生活の中で、自分がいままで犯してきたさまざまな行為を、その対象者に詫びながら生かされています。あの時こうすればよかったと、今は反省ばかりが頭に浮かびます。なんてできなかったんだろう。そんな反省ばかりです。

さまざまなことを学んで夢を実現し幸せになっても、無になって「それ」を知っても、それから結局どんな風に生きるのかをいつも問いかけることになります。自分にです。

結局はどんな状況にあってもそのときの「今」に感謝するしかないのに、人間は変化するものを求めて夢見る動物です。まずは不変を知ることが先なのですが。たいていは、その不変を知らずに肉を脱いでいきます。何を知って達しようと、マザーのように奇跡を行い「聖人」になろうと、いつだって「今」にしか過ぎないのです。

あの神戸の地震の日から途絶えていた黙想を始めることになりました。アルコールを控えるようにとの機会を与えられましたので。今一度の「自覚」が今生の意味を教えるのでしょうか。自分しかいない無限宇宙を漂いながらも、どこまで行っても「今」ですが。目前に現れる「今」をただ感謝するしかないです。

サイトの紹介 務本塾・人生講座 動画サイト

飯島さんのお話を動画にされているサイトです。ご存知かもしれませんね。

その他かとうはかるさんの紹介動画もあります。かとうさんは知花敏彦さんに私淑された方です。それと中村天風さんのものも詳しいです。すばらしいサイトと感じます。ここです。

務本塾・人生講座

マトリックス

今まで生かされてほとんど映画のような人生です。たぶんどなたでもそうでしょうけれど。映画なのに妙にうなずいてしまう映画が「マトリックス」です。

全時間全空間が過去未来なく全方向に自らが生かされています。そしてそれをあやつる存在がある。もしかしたらそれは登場人物である自分自身かもしれない。すべてのすべてを生み出すとろとろの黄金の光が自分。もし自分だとしたら、こうしている場合じゃないですよって思ってしまいました。

主人公は俳優キアヌリーブス。

一時期心を病んで、その彼の奇行が知らされたりしていました。彼のことが書いてある赤塚さんのブログを今朝拝見しました。人生で大変なことがある人は大変だけれど、何事もなかったかのように生きているのを見ると、人々に勇気と真理を与えるのかもしれません。シェアしていただいたら嬉しいです。ここです。

キアヌリーブスの気持ち

「永遠の業の世」 IN DEEP から

今日のさまざまの言葉でおもわずうるっときてしまったのは、IN DEEP さんの「永遠の業の世」の中のついこの前の施設での大きな事件について、「これはおそらく自分たちすべてが起こしている」ということばと、「新型出生前診断では、多くの親が中絶をしています。障害者を殺してもいいという発想と、障害を持つ子どもは要らないという考えと、どこが違うのでしょうか。」という言葉。いろいろそしてさまざま(同じですね)な思いがおありでしょうが。ここです。

永遠の業の世

マザー・テレサ 愛の贈り物

自分には愛という言葉はとても遠くて、なんだか恥ずかしい言葉なんですが、1997年に肉体を脱いだマザー・テレサにはとてもぴったりの言葉です。

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この土曜日、文庫本になった本が、著者の五十嵐薫さんから送られてきました。「インド心の旅」を主催しおそらく日本人でもっともマザー・テレサさんと親交が篤く、マザーの帰天の日にもインドのコルカタのマザーハウスにいて遺体に立ち会った方です。

実際に彼が経験した話ばかりなので、読むものの心に深く刻まれる言葉群です。インド心の旅に五十嵐さんにご案内いただいた時期には、すでにマザーはこの世にはみえず、マザーハウスの一番後ろのいつもマザーが座っていた場所にはマザーの人形がありました。

You did it to me.
(あなたが私にしてくれた)

マザーが講演の冒頭に決まって話す五本の指のこの言葉が胸に迫ってきます。通常忘れがちな大切なことを教えてくださる本だと感じます。

人として生まれて・・・

この数週間の間に、たくさんの方々から私設飲み会のお声がかかりました。久しぶりの方、近くの方、久しく断絶していた方、学区の方などからです。それで短期間にたくさんのアルコールをいただいたので、肉体(心臓)が悲鳴を上げていました。

それでこの2日間本当に幾年かぶりにアルコールを口にしませんでした。すると夕食がとてもたくさんの量になります。なのにいつもは眠くなるのですが、眠くもならないのです。

今朝午前2時、急に目が醒めまして、何故だか机に向かい紺色のブックカバーに包まれた本を取り出していました。森信三先生の「修身教授録」でした。なにげなく最初のページを開きます。先生が40歳の頃教員志望の学生に行った講義の記録です。

一番遅筆の生徒を窓際の前の席に座らせて記録をお願いしました。そしてその生徒の記録のスピードに合わせて講義を行われました。昭和12~3年の頃のことです。戦前の修身といえば何か古臭く感じるのかもしれませんが、その「修身教授録」にある言葉群は、まぎれもなく現代のそして未来の人々に行き方の原点を示すものと感じます。人間の年齢に関わらずです。

第一節は講義をする生徒に向けてのメッセージです。何故先生と生徒は出会ったのか、そして何故この講義が開かれたのか。必然の出逢いを真剣にゆっくりと説いていきます。講義が終了し、必然という言葉に合点のいかない生徒が先生に質問します。

「先生私には先生との出逢いが必然とは思えないのですが。」

先生は答えます。

「まあそう思っても一向にかまわないですよ。諸君たちはまだ若い、私のような年齢になれば人間の出逢いが必然だと気が付くことでしょうし、またそのように思ってこれからの人生を生きるか、または思わないで生きるかでは人生の意義が大きく異なるとおもいますが。」

というようなことをおっしゃって静かに教室を退室されます。生徒はうわさに聞いていた以上にしっかりとした重みのある講義に魂を打たれるものが多いようでした。

第二節は「人として生まれて」でした。

私達の周りを見渡せば、雑草だけでもものすごい種類になります。また動物の種類をあわせると膨大な種類になります。なのに何故私達は人として生まれたのでしょうか。誰でも人生一度は人間として生まれたのは何故なのだろうと疑問を持ち、さまざまな考えをめぐらせます。しかし人生を経験していくうちにそのような考えは次第に遠のいていきます。そして人生のさまざまな雑事に翻弄され、真に人間として生まれた意義について深く考えることもなく人生を終えます。人間ならば絶えず自分が人として生まれた意義を心のうちに秘めながら人生のさまざまな事柄に対処していきたいものと思います。文章が少し違っているかもしれませんが、一気に読み進む重い言葉群です。

そして第三節は「この国に生まれて」です。

世界にたくさんの国がある中で、この大和の国に生まれたというのは何故なのでしょう。今に至る、親や先祖、そして遠い民族の連綿として続く血脈が私達の中に流れていることを知らねばならない。思い出せと言うかのように深夜の心に響きます。

「修身教授録」忘れずに読み進みたい本です。
今回で6度目くらいになりました。
再びの始まりです。