静岡の癒しの達人 河崎さん

牧の原の指圧師 今村さんにうかがいました。

「もう少し先の静岡市よりには河崎さんという達人がいて、全国や世界から病気の方がみえますよ。」といわれました。そこで調べました。

ご興味があって困ってみえて何とかしたい方は、思いっきり笑って訪ねてみてください。其の時点でもう治っているかもしれませんが。

 

河崎さんの紹介 「幸せの道

毎年うかがう巡礼の旅の先で行う癒しの会のご紹介「ヨガナンダ

「幻の講話」 森信三先生 全5巻

坂田道信先生からご紹介がありました。

13歳の大切な時期から晩年までの人としてのあり方を説いています。
戦前の「修身教授録」とはまた異なって、感じるところが多いです。

第4巻 「人はなんのために生きるか」 第19講から 抜粋

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すなわち人間はたとえ悟ってからもーーついでですが、悟るということは、「自己中心主義」が誤りだということを徹底的に認識することとも言えましょうがーーさらに修行しなければならぬのであります。そしてこのことを臨済禅では、「悟後の修行」というているようであります。
では何故そうかと申しますと、悟りと言いましても、それが自分の我見がコッパミジンに飛び散ってしまって、この天地大宇宙と一体となったともいうべき体験をいうのであります。しかしながら、それはただ一瞬の出来事でありまして、もしその後の修行をつづけなければ。へたをすれば、そのときのただ一瞬の観念的な悟りに留まり、真にわが身に肉体化せられて、私どもの行動の力強い原動力とはならないのであります。

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大山白山神社  湧き上がるもの

それを望んであちらこちらを訪ね歩きました。
それでも長い間に得られないことを幾度も体験し、あきらめていました。

突然にお人の導きによってそれをいただきました。
その場所は美濃白川の大山白山神社でした。
十和田神社での最後の体験から16年の時が過ぎていました。
人は決して一度きりの生ではないと確信をすることはありませんか。?

ある人の初めてのご縁で、初めてでありながら出会いに涙を伴うこと。

またある場所に行ってある地点に立った時に突然におとずれる霊的なふるえ。
そして始めての出逢いで結婚を意識する「一目ぼれ」、などなど。

人生の醍醐味ともいえるこのような体験がヒトとして生へのなつかしさを
思い起こさせます。

同時にお導きいただいたご縁の方とのまた不思議な絆にも感謝が溢れるのです。

そして人生でお会いできるすべての方々のご縁にもひれ伏すのです。

人と人とが発酵する空間場  アボットキニー MOON CLUB 名古屋栄

平成7年ですから、今から23年前ボリビアへの研修旅行の初の打ち合わせに向かう新幹線車中でのことでした。

知花俊彦さんの弟さんが当時横浜の駅近くで旅行社を経営されていました。その場所へと向かう車中でひとつのお出逢いがありました。私たちはお腹が空いていて当時まだ新幹線内に食堂車がありましたのでそこに出向きました。その一つのテーブルにこちらが先に座っていた記憶ですが、逆かもしれません。同席をお願いされたのかこちらがしたのかわかりませんが一人の女性Sさんとご一緒させていただきました。

純粋な心をその方に感じました。その後さまざまな交流が6年ほど続きました。そして自然にお会いできなくなって17年くらいが経過し、つい数日前他のお人を通じて「お会いしたい」と連絡がありました。そして再会をしたのが「アボットキニー」というお店というか空間でした。それは名古屋栄のナディアパークの北真ん前の場所でした。聞けば大繁盛のハンバーガーショップを突然に閉めて新しい場作りにオーナーがしたとのことでした。

やりとりしたメールの一部です。その英語教師Sさんからのメールです。

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心が震えるということ

幾年か年齢を重ねて参りますと、心が震えるような体験やお出逢いは少なくなってくるようです。ですからそのような体験が大変に貴重にも思えてくるのです。昨年5月に始めてご縁をいただいた尾道の川原作太郎様の詩「潮騒」が世に出ました。 ご紹介させていただきます。

発行 えにしや 電話 025-283-1700 ファックス 025-284-3784 500円

 

自然の仕草

ベランダの小松菜さんももうそろそろ子孫を残したいと次の種を枝につけ始めています。天気のよい日には雨をまねて、シャワーーでなるべく高い所から水を注ぎます。

今朝の小松菜。

 

じっとよく見ますと、種の袋のところに水滴が一滴一滴たまります。自然の仕草のあまりの美しさに朝心が揺れました。

バイブレーション

4月1日、浜松ホトニクスの晝間輝夫さんの訃報記事を見ました。カミオカンデでのノーベル賞受賞の陰の貢献者としてよく知られています。

晝間輝夫さんの著書から、不明だったさまざまなことがわかりました。

「光は物質の糊である」晝間さんの言葉です。

物質に何らかの圧がかかると、電子が動き、元の位置に戻ろうとする時にエネルギーを発する。それが光といわれました。そして今だにだれも電子の形を発見していないのは一つの電子を守るかのように、さまざまな光がびっしりと電子を覆っているからのようです。

ピッコロが何故痛みを和らげるのか。気功が何故人体に影響を与えるのか。そして遠隔の意識さえもが地球の裏側の物質に影響を与える理由とは何か。すべては説明のつく晝間さんの言葉群です。

晝間輝夫さん、ありがとうございました。

以前どなたかにお送りしたメールが残っていました。