人(霊止)がもつ無限性 信じるものは・・・・

20数年ほど前に友人のIさんのお誘いで、
名古屋観光ホテルでの昼食会に行きました。

「経済界」という月刊誌の主幹であるSさんという方の
集いでした。
昼食はカレーでした。

その方は高名な方らしく、ご自分でしゃべることは少なかったですが、
最初に少しお話された後皆さんからの質問に答えるという形式の集いでした。

その最初のお話の中で良寛さんの話がでました。

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変わらないことの幸せ 変わることの喜び

たくさんの経験体験をさせていただいた人生です。

この3月から始まっためまぐるしい数々の出来事がありました。
その一つひとつの体験が終わらないうちにまた新しい出来事が
重なるのです。
激しすぎるのです。

人生のこの時点で・・・・。
なんでこのようなことが続くんだろうと思ってしまいました。

ある方には「この6月までには隠されていたことが全部明らかになって、
7月からは大繁盛です。」なんていわれましたが、
何が大繁盛なのか・・・。

先日Rさんのお話会に参加させていただきました。
Rさんは最近頻繁に「冠之会」に参加されます。
一生懸命にベビーリーフの栽培に集中が続いた何ヶ月の後、
Rさんがベビーリーフに質問をすると答えが返ってくる
ようになりました。

その中の答えの一つです。

人生でさまざまな痛いような体験って人にとって
どういう意味があるのか。

「それは次のステージに移るためのもの」

思わずうなずきました。

それならば大きな痛みほど大きなステージの
変化があるってこと?
そう感じました。

たしかにこの数ヶ月の変化。
痛みどころか、激痛です。
ただからだのことではないですが。

それに見合う大きなステージの変化が来そうです。

めまぐるしく動き回っているうちに、さまざまな新しいお人との
出逢いがありました。
その縁がまた新しい縁をよびました。

幼い頃からの疑問。
40歳を過ぎた頃から学んださまざまな偉人の教え。
そして長いお付き合いとなった飯島さんの実践の姿。
この世の実相。

そしてこの世界の真理、人間の生への問い。

あらゆるものが繋がってきました。

川原さんからのおはがきに
「誠を拝む心に・・・」と一節があって、社員さんと歩んできた
会社の勝手な社是「誠拝」との一致に驚きました。

出来ていないことばかりの小さな身に「誠」の意味が降って来ました。

「誠」 言葉のとおりに 成る。

真理がここにも問いかけてきました。

あまりに激しい変化をすれば日常の変化が無いことを幸せに感じ。

同じ環境や食や立場や人間関係ばかりでまったく変化がないと、
新しい出逢いや体験が変化の喜びを与えてくれます。

人間は無限になつかしく かわいく 嬉しいものです。

鍼灸指圧光伯堂 静岡 牧の原

二ヶ月続く朝起きたときの足の裏の違和感が二時間で10分の一に
なりました。 半年続く肩痛の方はだいぶ楽になりましたがもう1~2回の
揉みほぐしが必要のようです。

二箇所とも原因はわかっていますので受容します。
受容不足です。

静岡牧之原の達人 今村さんです。
彼の発信ブログは ここです。

静岡の癒しの達人 河崎さん

牧の原の指圧師 今村さんにうかがいました。

「もう少し先の静岡市よりには河崎さんという達人がいて、全国や世界から病気の方がみえますよ。」といわれました。そこで調べました。

ご興味があって困ってみえて何とかしたい方は、思いっきり笑って訪ねてみてください。其の時点でもう治っているかもしれませんが。

 

河崎さんの紹介 「幸せの道

毎年うかがう巡礼の旅の先で行う癒しの会のご紹介「ヨガナンダ

「幻の講話」 森信三先生 全5巻

坂田道信先生からご紹介がありました。

13歳の大切な時期から晩年までの人としてのあり方を説いています。
戦前の「修身教授録」とはまた異なって、感じるところが多いです。

第4巻 「人はなんのために生きるか」 第19講から 抜粋

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すなわち人間はたとえ悟ってからもーーついでですが、悟るということは、「自己中心主義」が誤りだということを徹底的に認識することとも言えましょうがーーさらに修行しなければならぬのであります。そしてこのことを臨済禅では、「悟後の修行」というているようであります。
では何故そうかと申しますと、悟りと言いましても、それが自分の我見がコッパミジンに飛び散ってしまって、この天地大宇宙と一体となったともいうべき体験をいうのであります。しかしながら、それはただ一瞬の出来事でありまして、もしその後の修行をつづけなければ。へたをすれば、そのときのただ一瞬の観念的な悟りに留まり、真にわが身に肉体化せられて、私どもの行動の力強い原動力とはならないのであります。

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大山白山神社  湧き上がるもの

それを望んであちらこちらを訪ね歩きました。
それでも長い間に得られないことを幾度も体験し、あきらめていました。

突然にお人の導きによってそれをいただきました。
その場所は美濃白川の大山白山神社でした。
十和田神社での最後の体験から16年の時が過ぎていました。
人は決して一度きりの生ではないと確信をすることはありませんか。?

ある人の初めてのご縁で、初めてでありながら出会いに涙を伴うこと。

またある場所に行ってある地点に立った時に突然におとずれる霊的なふるえ。
そして始めての出逢いで結婚を意識する「一目ぼれ」、などなど。

人生の醍醐味ともいえるこのような体験がヒトとして生へのなつかしさを
思い起こさせます。

同時にお導きいただいたご縁の方とのまた不思議な絆にも感謝が溢れるのです。

そして人生でお会いできるすべての方々のご縁にもひれ伏すのです。