真理の光~その8 圧の差が変化の原点

ある夕方家内が言いました。

「この間テレビで ガイアの夜明けで なんだかテネモスさんと
同じように感じたから とっておいたの。」

いつもよくわかりませんが。
「ガイアの夜明け」というテレビ番組で
気になることをしていたので、それが何かテネモスさんと
関係がある気がしたので、録画しましたと、翻訳すれば
そういうことです。

鮮度が一番!驚きの技術

テレビ番組でその以前の録画は有料で見れますが
普段は家庭の録画かDVDにして身内に紹介するくらいのことです。
せっかくなので録画を見てみました。

魚をアメリカに空輸するとどうしても鮮度が落ちます。
それをなんとか鮮度をなるべく落とさずに空輸するには
どうすればいいかという技術のを開発したエバートロンという
名前の会社の製品の紹介でした。
(冷凍せずにデス)

ある箱の中に2時間くらい入れただけで、いつものように
空輸しても鮮度がほとんど落ちないままです。
そのある箱の空間にはAMバンドの周波数が流されるようです。
(空間の側には金属が貼ってあります)

私達のいる世界には光が溢れています。
光といっても見えるものは赤橙黄緑青藍紫で紫よりも多い振動数(小さな波長)を
紫外線といって目には見えず皮膚には刺激が強いです。
殺菌能力もあります。

また赤より少ない振動数(大きな波長)を赤外線といって赤い色で
暖かい熱を出します。

赤外線よりもっと少ない振動数(大きな波長)ですと電波となります。
その電波のAMバンド(帯域)でラジオの周波数のような電波を
その空間にかけるのです。
一秒に5万回の振動ですから、50Kヘルツです。
NHKは729Kヘルツです。

そうすると魚の中の水分が不均一だったものが
細かく均等化され外に放出されなくなります。
そのようにして鮮度が保たれるようです。

その技術を油のフライヤーに設置したのがドクターフライ Dr.Fryです。

そこで食材を揚げると、水はねが極端に少なく、今までできなかったような
揚げ物ができます。たとえば秋刀魚の塩焼きとかです。
食材の中の水分が外に漏れないのでカラット揚がって油っこくなりません。
さらに魚の隣で野菜を揚げても匂いが付かないのです。

話を元に戻せば光の一種で、見えないけれどある紫外線よりも
振動数が多いものは、紫外線の次にX線そしてγ線です。
ずべては光です。

光は電磁波といってもいいです。
電波であり磁波です。

テネモスの商品製品の考え方は「圧」のギャップをつくり
「圧」の高いほうへ「圧」の低いほうからエネルギーを
吸引することです。

その「圧」の差を作る方法が

1.水 湧水圧(マナウオーター)

2.空気衝撃圧(バンブー関係)

3.電気振動圧(ピッコロ、エアキューブ)

そして油や石鹸やアグアもすべて圧を上げています。

圧が上がった状態を維持しているため、次第にキメが
時間とともに細かくなります。(活きた状態)
ピッコロで不思議に痛いところが軽くなったり、
滞りがなくなったりするのは普通のことだったようです。

エバートロンは空間や油の中を電波圧を上げることで
雰囲気中にある食材のキメを細かくしたといえます。
家内はピタリでした。
ビデオを見た後息子にも見てもらいました。
ほとんど感動が少ない息子ですが、見た後
何を感じたのかDVDだDVDだとしゃべり出し、
ついには録画の機器まで購入しました。

そして沖縄に出向く前にDVDを完成させ沖縄の
KさんやTさんにお渡ししました。

沖縄の研修会の旅からもどったあくる日に
Kさんから「ドクターフライ」のカタログの写メが届きました。

研修旅行の2日目のランチは読谷のまるみぬ茶屋の2階のピローネさんでした。
そこでバジルチキンサンドとスープとスムージーとへちまのフライを
いただきました。
ピローネ.jpg

ピローネさんはテネモス仕様のお店で、ランチはいずれも
やさしくまろやかで絶賛の嵐でした。

話は戻りますが、実はこの2階のピローネさんのまるみぬ茶屋の
一階は以前とてもおいしい評判のおそばやさんでしたが現在は
しばらく休業中でした。

なんとドクターフライの写メはこの一階のおそばやさんが
沖縄での最初の採用店だったことを証していたのです。

また別の日に本業の板金の組合の会合に息子が出席しました。
その二次会である会員の方に、エバートロンの話をしました。

そのYさんは実は別の番組でお酒のタンブラーの紹介を
されたことがある豊田の名士でそのタンブラーは世界的に有名です。
ところがエバートロンの話をそのYさんに話すうち
Yさんが「その会社の社長は友達のお父さんだよ。」???
ビックリです。

こちらでよく知られているお茶の妙・・・・・という店を継がずに
そのお父さんは研究好きなことからエバートロンの会社を
立ち上げて今は大繁盛のようです。

以上でエバートロン騒動は終わりです。
不思議な縁が現象をつないでいます。

押せば返る。
出したものが戻る。
思ったようになる。

物質は吸引 エネルギーは放出。

さまざまな珠玉の言葉が蘇りました。

テネモスミーティング、冠之会、読書会の4月~7月の予定

テネモスミーティング名古屋

5月2日(土)

場所 山善ビル2階 午前10時から

伊路波村

参加費 無 料

事情により予定させていただいた合宿は中止となりました。

7月11日(土) 

場所 山善ビル2階 午前10時から

参加費 無 料

冠之会 予定

場所はいずれも山善ビル二階 午後6時から

参加費用 1000えん(資料代)

4月18日(土)
5月16日(土)
6月20日(土)
7月11日(土)

慈藹塾読書会

場所はいずれも山善ビル二階 午前6時から

参加費用 無 料

4月19日(日)
5月17日(日)
6月21日(日)
7月12日(日)

随想 伊路波村から76~死なないでいる 020826

四日市での「読書会」終了後のお別れ。

O先生は車が見えなくなるまで見送ってくださった。

自分は種田山頭火のことばを思い出していた。

俳人山頭火は松山の友人大山ご夫妻の家へ
いつもふらっと顔をだした。

旅にでるとたえず行方しれず。
たまに旅先からはがきをくれた山頭火。

忘れたころにまたふらっと大山邸に顔をだす
山頭火であった。連絡は勿論なしに。

そんな山頭火が現れると、大山さんは貧しい中でも
できるだけ、山頭火の好物の豆腐と酒を用意した。

大山さんは不思議におもう山頭火のくせにきずく。
それは別れの日、旅立つ山頭火が、見送る大山ご夫妻を
いつでも一度も振り返ろうとはしないことだった。
いくどもそんなことがあった。

ある日の別れの朝、大山さんは山頭火に尋ねた。

「山頭火さん、あなたはいつでも別れのとき
私たちのことを振り返ろうとしない。
また今度いつ会えるかわからないのに、
水臭いじゃないか。」

山頭火はこたえた。

「旅をしているといろんなことがあります。
ある晩、橋の下で寝たことがある。

その夜大水がでて寝ている間に流されてしまった。
必死で葦にしがみついていのちは助かった。
大山さんにも今日お別れしたら、
もう再び会えないかもしれない
とおもうと、悲しくて、振り返ることができんのです。」

人との出会いをこんなにも真剣に思う山頭火。
私たちは今別れたらもう二度と会えないかもしれないと
思って人に接しているだろうか。

しぐるるや

死なないでいる

手を振るOさんの暖かさに、山頭火をみた。

随想 伊路波村から77~イスラエル ネボ山 010531

魂の旅 ~ネボ山・イスラエル失われた民族を訪ねて~

モーセロミュロス。40年間にわたって、30万人の民を
従え約束の地をめざした人。

1999年5月。その約束の地エルシャライム(エルサレム)をはるかに
臨むネボ山にたっていた。

故糸川英夫博士の想いと遺骨を届ける旅は、糸川博士の愛弟子
・津のAさんの企画だった。

1948年イスラエルは建国宣言された。初代首相は、故デビ
ッド=ベングリオン。ベングリオン首相の建国の志は、
「荒地を緑の地にかえよう」だった。

そして世界に散りじりになった民族同胞はイスラエル
に戻れと鼓舞し、先住民族ベドウィンの緑地化技術を世界の人
々に教え伝えようではないかと宣言したのである。

この高邁な志に糸川博士は心からの敬意を表し、同時代に生き
ることのなかったベングリオン首相の魂との触れあいの中でイ
スラエルと日本の助け合いなくして、21世紀の地球国家はな
いと言い切ったのである。

1999年2月21日午前3時15分。糸川博士は逝った。ベ
ングリオン首相も糸川博士もよく知らない人々と共に、ベング
リオンご夫妻の眠る墓地で献花した。
何故だかみんな泣いていた。
糸川博士とベングリオン首相がにこやかに笑っているよう
な気がした。

糸川博士は生前、
「ベルバラがわからないと21世紀はみえない」
(?)と言ってみえた。
ベルサイユ条約のことだったのだろうか。
WASP。ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントが有色
人種を支配しようという秘密条約。
そのことに最大の抵抗をみせたこの日本という国の過去。
最近の映画『ムルデカ』や『東京裁判』に歴史の真実を知る。
糸川博士の想いは、「国を追われた流民の旅人、
ユダヤ民族と共に大調和を知る日本民族が21世紀の
先導役をせよ。」と訴えているのだろうか。

死海のほとり、マッサダの砦は最後のユダヤの砦だった。
ローマ軍に滅ぼされる前日、全員自決した最後のユダヤの人々は屈辱よ
りも誇りを選択した。現在もこの砦では軍に初入隊する男女の宣
誓式の場として、長くイスラエルの誇りを守っているという。

はるかに約束の地をのぞむネボ山に立ち、聖書物語を思い出して
いた。「ヨシュアよ。私は約束の地を見ることはない。あとはお
まえが民を導くのだ。」といって姿を消したモーセ。その墓は今
も見つかっていない。

人にはそれぞれ約束の地がある。それは場所ではないかも知れな
い。生き方を探求する道につながる約束の地。大きな感動が山上
の風にあおられ、固い決意が生れた。

「何があってもやり抜こう。いのちに正直に生きよう。」

モーセが激しく語りかけるようだった。

真理の光~その9~一体全体と意識エネルギー

私達の感知する現実世界は一体全体でひとつの
生命であることはよく耳にします。
そのことと、意識はエネルギーであり光子でもあることの
証明が科学的になされました。
いつも暮れになりますと送られてくる風天さんの
冊子にその記述を見ることができましたので
掲載させていただきました。

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(画像をクリックすると読みやすくなります)

すべてのモノはかかわりあって存在していることの証明が
上の項目でなされています。
そして意識はバイオフォトンという光子であることも。
光子ですから意識を向ければ(意識をすれば)電子が
動きます。そして思ったとおりになります。
「意識すればそこに量子が偏在する。
意識は光子(バイオフォトン)で エネルギー、 波であり物質(粒)である。
人は自分の見ているものすべてに影響を与え変化させる。
何かを見るだけでその何かの分子を変え、原子を変え
エネルギーを変えるほどの力を発している。
素粒子は人間が意識していないときは波(エネルギー)で
人間が意識したときだけ粒(物質)になっている」
真理法則の科学的証明です。
現実はよいわるいを抜きにして幻想の世界なのでしょうか。

随想 伊路波村から78~何処へ 020911

光を語ればすべては見えない。

私たちは見える所に生かされている。

ビルの端にかかる夕陽をみると
ビルの一部が消えてしまう。

あまりににぶいそして粗い光の中で
生かされているから物がみえるのだろうか。

アンデルセンの久村さんが壁に腕を通した。
そして抜いた。

私たちのまわりのいつもあるものってなんなのだろう。
明日がくると無意識下に信じているから明日がくる。

明日はこないと思う人には明日は来ないかも知れない。

今ある物体が400km離れた知らない場所に瞬時に
置き換えられる。空間って、時間って何だろう。

三次元をはるかに抜き越えた多次元からみれば
そんなことはあたりまえかも知れない。

ここまできたらそして一緒にいるから、
意識をつなげていようよ。

意識のチェーンで輪をつくろうよ。
せっかく会ったんだから。

過去と呼ばれるあらゆるできごとも、
未来と呼ばれるまだ見ぬ出来事も、
みんな今、一人が創ったことだろうか。

限りなく孤独であって、限りなく満ち足りた
すべてのあなたよ。

一人しか,ひとつしか存在がないのです。

真理の光~最終 10 「受容」の幅

「受容」の幅について、先生と生徒の真理探究について、
「受容」の幅の差が、関係を継続させると書きました。

敵さえも「受容」したイエスについては、すべての人との
「受容」の幅の差(ギャップ)が詰まることがないので
イエスに多くの人々が2000年もの間惹かれているのです。

それはお釈迦様も空海も道元も親鸞も日蓮も
宮沢賢治も良寛もその他の偉人達も同じように
人々を長い間ひきつけてやまない理由です。

「受容」の大きさが、人々を大きくひきつけるエネルギーとなっ ています。

「受容」すれば「0」になるからです。

すべてを「受容」すれば完全となり イエスになります。

逆に「0」になれないので人間として生まれたともいえるのでしょうか。

「0」になれない理由は「分離感」にあります。

「分離感」を無くすことが、すべてを「受容」することになるようです。

随想 伊路波村から79~老いを生きる 140417

ある日の朝刊。
長く魚屋さんを営む50代御夫婦のお話。

魚屋さんの近くに大きなスーパーができることになった。
スーパーの営業のかたがスーパー内での出店の勧誘にみえた。

時代がかわりとても魚屋だけではやっていけない。
でも主人は断る。

毎朝市場へ行って、自分の目で確かめた魚を
店頭にならべた自信と体験と誇り。

「やっぱり値段ですよ、消費者はそれだけです。」
営業の方の帰り際のすてぜりふ。

ある日奥さんの前でめずらしく正座したご主人がたずねる。
「今家にいくらある?」
「ここでろばたでもやりたい。このままスーパーに
まけるのはいやだ。」

奥さんは若い頃自分の父親にむかって
「嫁さんにください」と必死だった御主人の姿を思い出し、
思わずにじりよって、御主人の両手を握りしめた。

理想をとるか、実利をとるか。
多くの人が選択をせまられているのだろうか。