真理の光~その5 バイブレーション

いままでのことを少しまとめてみました。

この現実界はすべては空からなりたっています。
それはプラスとマイナス。
それをくっつけて物質化しているのが光子のようです。

プラスの数とマイナスの数で物質に名前をつけいています。
最小が水素。

形を現すのが電子マイナスで電子マイナスを動かしているのがプラスです。

電子が集まってながれることを電流といいます。

ですから現実界はすべてが電気といえますし、
すべてが光だともいえますし、
すべては微生物(プラスとマイナスの集まったもの)だともいえます。

物質になんらかの圧力がかかります。
そうすると物質が不安定になり、電子が飛び出したり
物質の内部の電子が不安定になります。

それが安定状態に戻ろうとするエネルギーが働きます。
そうして電子や光子が物質に作用します。

原子転換と呼ばれることもこのようにしておきるようです。
また物質のきめや振動が(バイブレーション)がこまかくなり
物質が活性化することもおきます。

物質への圧力はどのようなものがあるのでしょうか。

何より最大の圧力は意識です。(意識圧)

水では衝撃圧。(マナウオーター)

水や空気での振動圧。(バンブー、エアキューブ)

土壌の微生物を増やす土圧。(酵素微生物アグアなど)

水などの液体の微生物振動圧。(VH100,アグアドリンク)

そして電圧のかかった場所へ置く場合の電界圧。(エアキューブ)

全部圧エネルギーと物質の因果で成り立っています。

しかもたった一つの真理です。
家の犬が 寝室で寝ています。
犬は自然体で電界によるエネルギーを察知しています。

この世は万物のバイブレーションに満ちています。
未知の光電子や磁界が生み出す永久性はいったいどのような
ものなのでしょうか。
その謎解きのときが迫っています。

随想 伊路波村から71~すこしずつ

一緒に仕事を始めた第2創業時。
おじいちゃん(父)は今の私の年齢だった。

50-60キロもする鉄板を毎日毎日
3-4トンは移動した。
手で。

もうその年になるまでの15年間くらいは
重いものは持っていなかっただろうに。

始めた頃は、あちらが痛いこちらが痛いと
言っていたっけ。

でも第2創業。
将来を夢見て、そして自分の城、祖父の城の復活が
喜びと力になったのだろうか。
張り切っていた毎日だった。

27年が経ち、世の中が大変化。
もう第一線を退いたおじいちゃんにとっても、
この先の会社の行方は不安にみえるのだろうか。

絶頂をほこる企業でも、一夜にして倒産。
社会は人は大変化を遂げているかのようだ。

そしておじいちゃんの第2創業の年から、
3代目は第3創業へと向う。

今までの企業体ではない。
だれも見ない地に向って船出するかのよう。
人は無謀となんども言った。
本業をしっかりとすっぱく聞かされた。
それでもかたくなな心は、聞き入れる事をしない。
何の為に生きてきたのか。
何のために生きるのか。

老眼の目はめがねを借りて美しいごはんや
世界を見る。
すこしずつ すこしずつ 老いていく。
娘のだんなさん?と間違えられた嬉しさは
老いの裏返し。?

アホならいっそ。
行く先も、夢も、生き方も関係ないのです。

すこしの言葉でぐらつく、おろかな自分を
まだまだと激励する自分がいる。

世界はすこしずつの変化でちょうどいい。

日常は激しく動いている。

随想 伊路波村から72~しのちゃん

娘の日記です。30歳になれました。

1月27日

心友

今日ともちゃんとかこでお茶をしたうさぎのさるぼぼとアルバムとMDをもらった。お茶おごった。家にも招待した・ ともちゃんは私の親友だ。心友のほうかな、メンタルだ。親友ってなに?って思うことあるけど一緒にいてぽわんとできるともかなと思う。今日はお菓子の本みてガトーショコラなんてどう?いろんなタイプあるね。もうすぐバレンタインだね。手作りは家とあとはだれかな。なにしろガトーショコラは作る予定。うさぎのショコラデジカメでとっていい?どうぞ。ショコラも心友。しの

随想 伊路波村から73~人間は何で生きているんですか? 020620

ありがとうおじさんへのある方の質問

Q 人間はなんで生きているんですか?

A そうねえ。まず「生かされてる」のよね.神様に生かされてるのね、
神様も本当は生きてるんでしょう。
その神様は目的を持って
生きてるんですよね。「生きてる」というのは、
いうたら「命の働きが躍動して動いている」という意味よね。
常に、宇宙の創造が一瞬一瞬
新たに行なわれてるという意味ですよね。

神様は何故宇宙を創造しているのか。
やっぱり「喜びを表現している」んですよね。
宇宙全体に。喜びの連続ですよね。

人間も神様の本当は分身として、神様と一体の自分として、
神様の喜びを一緒に味わうわけね。
ただ、一人一人が異なる喜びの味わい方をしてくれないと、
神様は困るんですね。

同じ味わい方だったら二人は要らないですよね。

万人がいてたら、万人全部異なる味わい方をして欲しいのね。
それを全部束ねて神様の大きい喜びに変化するのね。
だから、人は神様とともに生きてるのね。
どこまでも神様とともに生かされている。

目的は神様の目的を持って生きている。
それは、喜びを大きくすること、幸せを大きくすることよね。

Qそれは、自分が思う喜びでいいんですか?

A 自分は自分なりの喜びが、順番に深く大きくなっていくわね。
他の人は、また他の人なりの喜び、味わい方が違うのね。
それはそれなりにどんどん大きく深くなっていくわね。
人まねはいらないね。人まねはしなくていいのよね。
あくまでも自分は自分よね。

Q 自分の喜びを追求していったらいいということですか?

A だから、自分の喜びは神様から来るのよね。
神様から離れたら喜びは消えてしまうよね。
神様から与えてもらうものを、
充分に受け切らないといけないね。
神様の喜びが自分の中に入ってくる。
それを喜べるという状態ね。
だから小さい喜びじゃないよね。
神様の喜び、一人ひとりに与える喜びは、
無限の無限の喜び、大きい。
最初は小さいよね。喜びでもね。
だから、思いの自分を生きているときは、
ちょっと思いどうりになって喜ぶぐらいでしょう。
もの凄く小さいのね。
それを無限に無限に大きい喜びに変えていく勉強がいるの。
それが感謝に生きることよね。
感謝に生きてると気付きが増えて喜びが
大きくなるね。それが深くなっていくね。
神様が与えてくる無限の無限
の喜びにどんどん近づいていけるね。
一人一人が無限の無限の
喜びを味わいつづけて欲しいんでしょう。神様はね。
それを全部束ねて、もっと大きい喜びを神様は味わいたい。

———————————————
人間はどんなときに喜びを感じるのかは人さまざまだ。
でも、深いところでは共通しているのだろうか。

「どんなときに嬉しい?」ある人に聞いてみた。

「うーん。他人が嬉しそうにしているのを見るときかな」

この人はもう神様だ。

真理の光~その6 意識を起こして 意識せずの凄さ

先の水耕栽培の実験ではいろんなことがわかりました。

まず水耕栽培の水に空気振動圧をかけていますが、
その振動圧の高さに比例して生育のスピードが速いこと。

それから上からの光の種類(光の振動)によって
レタスの色目ややはり生育スピードが異なること。

振動圧がレタスの電子を活発化しまた光子も
同じように活発化して、レタスの生育を促進します。

空気も光も振動です。
何らかの圧が物質を作り出す元となることを
ずっと検証してまいりました。

そしてその最大の圧は意識であることも。

では「瞑想」のように瞑目しながら何も意識しないことは
人間にどのような影響があるのでしょうか。

もちろん眠っているときは何も意識していないと思いがちです。
でもほんとうに眠っているときは何も意識していないのでしょうか。

それでは眠っていさえすれば「瞑想」と同じ効果があるのでしょうか。
古来多くの人々が「瞑想」をしてきた意味が消えてしまいそうです。

おそらく眠っていても意識はあるように感じられます。
ただ横になって眠っていることで、物質的にはアースされた
状態となり、滞りが無くなることでしょう。

ですから眠るのは椅子で眠ったりせずに横になって眠ることが
大切といわれるようです。

ここでは人間の意識はずっと止まらないことに
なってしまいます。

そこで地球上の人間が常に意識していることは無限の
多さであり、無限の圧といってもいいでしょう。
無限の無限の意識圧です。

それが寝ても醒めても連続しています。
その無限の意識圧を現実化する膨大な接着剤の
光はどこから来ているのでしょうか。

「意識を起こして 意識せず」

起きていても眠っていても意識を起こしているのならば、
意識をしないことは逆に意識を起こしているときにしか
できないようです。

これが古来「瞑想」が重要とされてきた理由でしょうか。
もし「意識を起こして 意識せず」ができたならば光の元、一元の本源に
自分がそのままになることができるのかもしれません。

というよりも、もともとそうであったとの深い感慨を得るのでしょうか。 
 
「瞑想」でふるさとへどうぞ。

そして「万事如意」の世界観を達成なさってください。

無限宇宙は無限意識そして無限のバイブレーションに満ちています。

真理の光~ その7~Yさんへのメール

あんでるせんではさまざまなご体験
驚かれたことでしょう。

22年前から8回ほど訪問させていただいてます。
お人からの依頼とか、自分の道に迷いが出たときに
伺いました。

物質が変化することはなんとかその場のことですから
容認できますが、あなたさまのように時刻が逆転して
同じ絵と名前もわかってしまう不思議をどのように
理解したらよいのか、驚かれたことでしょう。

またあんでるせんでの物質がマスターの手元から消えて
遠方のその物質か持ち主しか知らない場所へと
瞬間移動することもどう理解したらよいのか、
いままでの知識や概念ではとても理解できないことでしょう。

時空があると考えると、時間は過去、今、未来へと
動いていくものと普通は思います。

また空間が実在してその空間を認識している
私達にとって空間を物質が移動することはとても
信じられないことと思われます。

塑性であるプラスティックやビンが曲がったり、ビンの口が
広がったりすること、紙幣の中を500円玉が直角に通っても
紙幣に破れたあとが残らないこと、500円玉にタバコが貫通し
抜いても穴がないこと、そしてマスターの口で堅い硬貨が
ちぎれて再び元に戻ること。

それらの不思議な現象の原因はただひとつ意識でしょうか。
「意識したとおりになる」 
真理です。

この意識を現象化する、人間なら誰でもがもっている能力を
おそるべきスピードで体現している方がマスターです。
意識は最大の圧ですから。

時空については私達の知識を捨てなければ理解できません。
一点にすべてがあるともし思えたら時空の逆転は可能でしょうか。
未来が今にあるのですから。

そしていかなるものにも意志や意味があると考えることが
できたら物質のテレポーテーションも完成です。

目覚めた人は自らの身体もテレポーテーションするようです。
「人間に不可能はありません。
無限の能力をみんながもっているのですから。」
Eさんの言葉です。

不思議だなと思っても、理解できないなら認めることは難しいです。
でも見られたことは現象世界の現実です。

その理由が心からそして身にしみてわかったら、あらゆることは
輝いて見えることでしょう。

一体全体。

元一つの世界観です。

ありがとうございます。

随想 伊路波村から74~日票式人生読本 020712

我が家の洗面所の目の高さにかけてある日票式人生読本。

足助の平勝寺住職からいただいたもの。
60日毎日のひめくりです。

歯を磨きながら、あるいはひげをそりながらみるとはなしにみる。
一部をご紹介させてください。

戯論を止めよ(毒矢のおしえ)

マールクシャという釈尊のお弟子があるとき、
次のような質問をしました。

「この世は永遠に続くものでしょうか、
それとも今にすっかり変わってしまうものでしょうか教えてください。」

「こういうことがわからなければ修行をやめようかと思います。」

と。 すると釈尊は、このお弟子に次のように仰せられました。

若し人が、毒矢をもって射られたとせよ。
廻りの人が急いで医者を迎えて、その矢を抜き取るようにする。
ところがその時、その矢を抜くのは

ちょっと待ってくれ、一体この矢はどこから来たのか、
この矢は誰が射たのか、矢先はどのような形をしているのかと。
そういうことがすべてわかるまでは抜くのを待って貰いたいというならば、
彼はそれらのことを知る事が出来ないうちに死んでしまうであろう。

戯れの論をして居るよりも先に、まず毒矢を抜き取ることが大切なのである。
前世がどうであったとか、死後はどうあるかを知り尽くすよりも、

今おんみ達の身に迫っている恐ろしい
毒矢を抜き取る事こそ大切なのである。

私の教える修行はその為の修行なのである。
戯れごとではないと仰せられた。

随想 伊路波村から75~あなたに誉められたくて

俳優高倉 健 さんの本の題名です。
もうずいぶん前に出版されました。

高倉健さんが10年も続けた事。
それは毎年の大晦日の午前零時に
長野善光寺をお参りすることでした。

長野県とは別にゆかりもなにもない健さんにも
何故善光寺なのかがわからなかった。

ただ続けてみようと毎年0時になると参道から入り
善光寺にお参りしたのでした。

年を重ねるにつれて大晦日に必ず健さんが善光寺に
くるといううわさがひろがりました。

大晦日には参道に人があふれるようになりました。

10年目を迎えた年。いよいよ健さんにとっての満願の年です。
あいにくその年はアメリカで映画「ブラックレイン」の撮影中でした。
「今年は行けないな」とあきらめていた健さんでした。

大晦日が近づくにつれて10年目の区切りをつけたい気持ちと、
ことしも健さんにあえると待っていてくださる人々への思いが
つのってきます。ギリギリになって映画のスタッフに理由を話し、
お参りをしたらすぐ戻るという約束で健さんは帰国。
善光寺に時間どおり間に合いました。

アメリカでの撮影をよく知っていた健さんのファンでしたが、
10年目の最後の善光寺の参道、いつもの年にも増して
多くの人々が「ウオー」という叫びとともに健さんを出迎えました。

「あなたにほめられたくて」健さんは人生をすごしました。

このお話では自分を待っていてくれるだろう人々でした。

でもほんとうに誉められたい「あなた」は健さんのお母さんでした。
お母さんに誉められたくて健さんは生きてきたのです。

はなしは自分のことに移ります。

母の口ぐせは「いい子だね」と「他人の役にたつ人間になれ」
でした。昭和50年。月給8万円の中から毎月現金書留で
一万円を母に送りました。

母が63才になって病床にいるころ、ポツリと言いました。

「おまえが送ってくれた一万円どんなに楽しみにしていただろう」
母は63才で逝きました。

子供4人を育てた借金が残されました。
3年半かかって毎月すこしづつ返しました。

だれの役にたたなくてもいい。

これでおかあちゃん安心してね。

あなたに誉められたくて自分も生きてきたのだから。