真理の光~その9~一体全体と意識エネルギー

私達の感知する現実世界は一体全体でひとつの
生命であることはよく耳にします。
そのことと、意識はエネルギーであり光子でもあることの
証明が科学的になされました。
いつも暮れになりますと送られてくる風天さんの
冊子にその記述を見ることができましたので
掲載させていただきました。

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(画像をクリックすると読みやすくなります)

すべてのモノはかかわりあって存在していることの証明が
上の項目でなされています。
そして意識はバイオフォトンという光子であることも。
光子ですから意識を向ければ(意識をすれば)電子が
動きます。そして思ったとおりになります。
「意識すればそこに量子が偏在する。
意識は光子(バイオフォトン)で エネルギー、 波であり物質(粒)である。
人は自分の見ているものすべてに影響を与え変化させる。
何かを見るだけでその何かの分子を変え、原子を変え
エネルギーを変えるほどの力を発している。
素粒子は人間が意識していないときは波(エネルギー)で
人間が意識したときだけ粒(物質)になっている」
真理法則の科学的証明です。
現実はよいわるいを抜きにして幻想の世界なのでしょうか。

随想 伊路波村から78~何処へ 020911

光を語ればすべては見えない。

私たちは見える所に生かされている。

ビルの端にかかる夕陽をみると
ビルの一部が消えてしまう。

あまりににぶいそして粗い光の中で
生かされているから物がみえるのだろうか。

アンデルセンの久村さんが壁に腕を通した。
そして抜いた。

私たちのまわりのいつもあるものってなんなのだろう。
明日がくると無意識下に信じているから明日がくる。

明日はこないと思う人には明日は来ないかも知れない。

今ある物体が400km離れた知らない場所に瞬時に
置き換えられる。空間って、時間って何だろう。

三次元をはるかに抜き越えた多次元からみれば
そんなことはあたりまえかも知れない。

ここまできたらそして一緒にいるから、
意識をつなげていようよ。

意識のチェーンで輪をつくろうよ。
せっかく会ったんだから。

過去と呼ばれるあらゆるできごとも、
未来と呼ばれるまだ見ぬ出来事も、
みんな今、一人が創ったことだろうか。

限りなく孤独であって、限りなく満ち足りた
すべてのあなたよ。

一人しか,ひとつしか存在がないのです。

真理の光~最終 10 「受容」の幅

「受容」の幅について、先生と生徒の真理探究について、
「受容」の幅の差が、関係を継続させると書きました。

敵さえも「受容」したイエスについては、すべての人との
「受容」の幅の差(ギャップ)が詰まることがないので
イエスに多くの人々が2000年もの間惹かれているのです。

それはお釈迦様も空海も道元も親鸞も日蓮も
宮沢賢治も良寛もその他の偉人達も同じように
人々を長い間ひきつけてやまない理由です。

「受容」の大きさが、人々を大きくひきつけるエネルギーとなっ ています。

「受容」すれば「0」になるからです。

すべてを「受容」すれば完全となり イエスになります。

逆に「0」になれないので人間として生まれたともいえるのでしょうか。

「0」になれない理由は「分離感」にあります。

「分離感」を無くすことが、すべてを「受容」することになるようです。

随想 伊路波村から79~老いを生きる 140417

ある日の朝刊。
長く魚屋さんを営む50代御夫婦のお話。

魚屋さんの近くに大きなスーパーができることになった。
スーパーの営業のかたがスーパー内での出店の勧誘にみえた。

時代がかわりとても魚屋だけではやっていけない。
でも主人は断る。

毎朝市場へ行って、自分の目で確かめた魚を
店頭にならべた自信と体験と誇り。

「やっぱり値段ですよ、消費者はそれだけです。」
営業の方の帰り際のすてぜりふ。

ある日奥さんの前でめずらしく正座したご主人がたずねる。
「今家にいくらある?」
「ここでろばたでもやりたい。このままスーパーに
まけるのはいやだ。」

奥さんは若い頃自分の父親にむかって
「嫁さんにください」と必死だった御主人の姿を思い出し、
思わずにじりよって、御主人の両手を握りしめた。

理想をとるか、実利をとるか。
多くの人が選択をせまられているのだろうか。

随想 伊路波村から80~文読む月日  020828

会社で社員さんを採用する基準は順番でした。

最近は増員を考えたこともないですが。
すなわち縁です。「こちらはあなた様さえよろしかったら
採用させていただきます。明日中までにお返事ください。」

といって集まったひとびとの集団が今の会社。
こちらではとても優劣をつけることなどできません。
だから順番なのです。

会社の業績が落ちてくると必ず人員カットが
もっとも早い効果的な経費節減と、企業は考え実行します。

入っていただくときはあんなに願ったのに。
困ったら裁いて切るのです。

9年前ハガキ道の坂田さんに教えていただいたご本があります。

「文読む月日 上下巻」土御門二郎 著
著者の土御門さんはこの国のトルストイ翻訳の第一人者です。

戦時中「人が人を殺すことは絶対いやだ」と山へこもり
戦争拒否をした方です。あまりのすごさに特攻警察も
追うことをしなかったらしいです。

上巻のなかの一週間の読みものの一つをご紹介します。

ある町に立派な町長さんがいた。
町長さんはだれからも慕われていた。

実業のほうも繁盛し経済的にも繁栄していた。

ある日その町で新しい裁判官を選ぶ必要ができた。
町の人々はみんなが町長さんが適任だ、町長さんしか
いないと口々にいった。

代表者が町長さんに裁判官の就任をお願いに出向くが
町長さんはお断りになる。何度ものお願いにもかたくなに
辞退された。辞退の理由を尋ねても理由をはっきりと言われない。
町民は納得せず、みんなの前で何故出来ないのかを
はっきりといってくださいと要請される。

そしていよいよ町民にわけを話す日が来た。
大勢の町民を前に彼は語り始めた。

「私はじつは幼い頃泥棒の子供だったのです。」
町民は唖然とした。町長さんは話を続けた。

「父親が泥棒のリーダーだった。時には私も頼まれて
泥棒の手伝いを何度もしました。
ある夜商家の蔵に泥棒に入ることになりました。

蔵の窓は高いところにあって小さいものですから、
大人の体は入れません。私がその窓から入って縄をつかって
蔵の中に入りました。その縄に蔵の物を結わえて
幾度も物を運び出しました。何度目かの時、商家のほうから
ざわめきが聞こえました。見つかったようでした。

縄はあげられたままでしたので、逃げることもできません。
蔵の中で幼い私は泣き叫びました。
父親たちは逃げていったようでした。

絶望と恐怖で胸が一杯でした。
蔵はあけられ、警察と家の人たちに発見されました。

警察につれられようとしていく時にその家の奥様が警察の
人に話してくれました。”みればまだ幼い子供です。
私が引き取りますので
どうぞ許してあげてください。”といってくださったのです。」

聴衆はシーンとしている。
以来その子供は奥様に可愛がられ、養子となった。
一所懸命に働き、嫁をめとり、家業を盛り立てた。

「もしあの時奥様にひろわれなかったら、私の人生は
どうなったかわかりません。だからそんな私が他の人がいくら
悪いことをしたからといってとても裁くことはできないのです。」

町の人びとは静まりかえり、誰も反論するものはいなかった。

私たちはいつも人を裁いてはいないだろうか。

随想 伊路波村から81~聖地巡礼・霊鷲山 050120

平成十年。
インド心の旅(ピュアハートホーム五十嵐薫様主催)に参加した。
マザーハウス、死を待つ人の家、孤児院等をたずねた。
そして訪ねたかったシャカにかかわる聖地巡礼の旅に出かけた。

ガンジス河の夕陽。そして翌日のガンジス河遊覧。
白いお尻がポッカリ川面に浮かびながら
流されていくのを本当にみてしまった。

ハイライトはシャカが弟子たちと共に
最も長期間修行に励んだ山、霊鷲山
(りょうじゅせん)だった。
朝早く、警官の警護のもと、まだ暗い山を登る。
ついそれより二ヶ月程前、五十嵐さんの友人がそこで盗賊に遭い、
いのちを落としたらしい。
五十嵐さんは涙ながらに語ってみえた。

山上、シャカが座して弟子たちに話をした場所につく。
日の出を待ちながら思い思いに岩の上で瞑想をする。
そして帰山の前に野外の祭壇前に全員が
列し、同行のBさん(仏僧)がお経をあげる。
簡単な聞いたことのないようなお経に反応してか、
皆が泣いている。魂が泣いているのだろうか。

この旅を通じて、五十嵐さんが「人間シャカ」(高橋信次:著)で学んだ
シャカの実像を訪ねた場所ごとに解説してくださった。
普通の観光の旅では得られぬ感慨をたくさんいただいた。
ありがとう。インド。
この日からインドはもう一度訪ねたい国となった。

ガリラヤ湖の153匹の魚

イエス様三度目の復活の場面。
ガリラヤ湖で網にかかった153匹の魚の意味を考える。
 
三で割れる数字の中で唯一の数の意味を勝手に理解。
全自然数の3分の一である3で割り切れる数の中の
唯一の特徴を持つ数である153。
これしかない。
 
父と子と聖霊の三位一体。
その三位一体の唯一の数とは、一人一人。
すなわち貴方様。?
一人一人が分離感をなくすようにとイエス様が数霊に込めた気がいたします。
 
ゼカリヤ書13・8-9
 
⑧全地はこうなるー主の言葉-
三分の二は死に絶え、三分の一がそこに残る。
 
⑨わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を精錬するように彼らを精錬し、金を試すように彼らを試す。彼はわたしの名を呼び、わたしは彼に答える。
わたしは言う、「これはわたしの民」。
そして彼は言う、「主こそわたしの神」。
 
 
ほとんど死んでいるかのように生かされる人々で
満ちている現代という時。
三分の一が分離感を解き放ち生かされた者と
なるかのようなイエス様の預言です。
 
 
こちらは現代のキリスト教とは無関係ですが。
イエス様の言葉は別次元と感じさせます。
 
名古屋ー豊田ー飯田と続く飯田街道
豊田ー飯田は国道153号線。
田ー田の「田田交産」新しい力を生み出すこと。
 
そして中部日本放送は1053キロヘルツの周波数。
 
日本の真ん中の不思議な数霊を思います。
 
数霊の遊びですが。