自分しかいない

世に自分しかいないって分かったら、全てが自分だと思える。

そうなると目にする人たち目にするものすべて自分。

その人たちが自分になすことはすべて受け入れるしかない。

それは自分が自分になしたことだから。

人生上に起きるさまざまなことがらには、もう耐えることができないよう思えることがある。

どうしてこんなことが自分に起きるのだろうと、立ち上がれないことがある。それでもそんなことでも結局は受け入れるしかない。すべて自分の中で起きている出来事であって誰もいない。

自分しかいないのだから、結局は自分もいないように感じるのです。

自己という自分 他己という自分

自己と他己ってあります。
自己紹介とか他己紹介とか言って使います。

自己紹介は自分がみた自分。
他己紹介は他の方のことをどのように見ているかを語ります。
でも他己とは他の方を借りてその方をどのように見ているかを語る、結局自分のこと。

何をとっても自分しかありませんね。

黎明の時

写真はテネモスの横型風力発電機です。6枚羽根で一枚の羽根の幅の2/3のところで148度の角度で折り曲げてあります。正面から風を受けますと、羽根の2/3の広い部分と1/3の狭い部分の振動が異なって、その振動差を埋めるかのように広い方から狭い方へと羽は回転します。ほんのそよ風でも回転します。

気(エネルギー)が行いを促し、現実が変化してまいります。
変化した現実が新しい気(エネルギー)を生み出し、
動き続ける限りは気(エネルギー)を放出することが
止まることはありません。
エネルギーはもらうものではなくて出すもの。
自らの出した気(エネルギー)のとおりの現実世界が
目前に広がります。

言葉がなければ何も認識できず、
時間がなければ変化がわからず、
空間がなければ我と彼、あれとこれの区別ができず、
そして気(エネルギー)がなければ何も生まれてこない。
この世の仕組みは大元である中道のエネルギーが
根源であるようです。
そのことの証明はこの自然界のあらゆる現象が
見せています。

自然界がなければ大元がわからず、大元を知らねば
不自然に生かされていると言えます。
天も地も人もその三元の大元もすべてが共にあるという
認識が多くの人々の認識になるときが近づいていると感じられます。黎明の時でしょうか。

赦し

人生で絶対に許すことが出来ないとんでもないことを
受け容れて、そして相手を赦した人は、きっととんでもないことを
するような人と感じさせます。

そしてそれを実行し現実にした人は、きっともっととんでもないことに
出会うかもしれません。
それでもその人が再び赦すことができれば、もっととんでもないことを
成し遂げる人となるのかもわかりません。

思いも寄らないこと・・・・

思ったことが叶う、出したものが返る、引き寄せの法則、作用反作用の法則・・・。などなど意識は最大のエネルギーと知った。大地震。いつか起きると予測するから、もしかして「起きたらいやだな」って思うから起きない。では「思ってもみないこと」「青天の霹靂」って何であるんだろう。それは全過去、全未来の遠い意識が出した結果かも知れません。