随想 伊路波村から100〜動かない物

旅に出て、平原の風にそよぐすすきを見る。

そこに立つ木を見る。

そして動かぬ巨石を見る。

木の枝や葉は風に揺らされるし、
もちろん植物も揺らされる。

でも石は風に吹かれるだけで、
ずっとそこにある。
私が死んでもそこにある。

そんなことが悲しくて、
涙ぐんだ秋の夕方もあった。

だけれども、よく考えた、つまらんことかも
しれないけれど。
この世に回転していないものはない。
原子一個から、地球や、巨大銀河系まで。
そして無限宇宙でさえ。

だから同じ場所、同じ空間はない。
巨石だって、動いているんだ。

地球に乗って、一緒に旅しているんだ。
そう考えたら、気が楽になった。

石がかわいそうでなくなった。

人間の勝手な思い込みは続く。

随想 伊路波村から101~祈るしかない

世界の遠くにおきた自然の猛威で
いのちを亡くした多くの人々に対して、
私はこの日本という国に、今いのちをいただいてあるということに
感謝して、ただただ人々のことを祈るしかありません。

人生でおかした数々のことがらと、縁づいた人々にも、
お別れした多くのいのちにも、
今ここに元気であることに感謝して、
ただただ祈るしかないのです。
ありがとうございます

随想 伊路波村から102〜人生の岐路

人生の岐路
人は人生のうちに幾度か岐路にたつもの。
その岐路に立った人の結論を、たくさん最近知った。
最後の岐路は、いのちのある、かたちのある死ということ。
親との別れ。
毎日一緒に暮らしたのだったら、なおさらつらいものだろうに。
だれもが体験することだけれど、
わかってはいてもつらいものだ。

なくなる方にとっては岐路じゃない。
一応の終着駅。

人生の岐路はたくさんある。
何を持って決めるのかで、
毎日岐路に立つ人もいるのだろう。
それとも毎瞬が岐路。?(笑)

自分が信じて進んできたことが、
世の中に受け入れられなくなって、
事業としてなりたたなくなる場合は
事業の消滅となる。

大好きなことで、毎日仕事ができて時間を
すごすことができる人は幸せ。

アップルの創始者は、「朝起きてワクワクしなくなったら、
道を変えなさいということ。」と言った。
この時代にあって、ほんとに必要なことを
みんなしているかというと、なんだかゴミみたいなことばかりの
気がして。自分も含めて。
そう、この国は戦後、流通という分野でもって(代理店、特約店
取次店、小売店)利益を分けっこしてきたんだから。
その流通が、インターネットで直接販売によって、
かなり排除される。
そして人口減少で、需要そのものの減少と変化がある。

今日、昔若いころ父の車を専属に営業に来た
日産の営業の方が、会社に久しぶりにみえた。
風貌は見る影もない。
からだをこわさなければいいがーー。って思わず感じてしまった。
生活のために、子供の将来のために、
ほんとにやりたくないことをだまってやり続け、
人生や企業としての勝ち組に入りたい。
こんな思いをだれが非難できようか。
生活の陰がみえるのだ。

誰もが死ぬときわかるのだろうか。
何が正解か。
それとも命への未練がすべてを隠し、
そんなことさえ考えられないのだろうか。
まあいいか。
誰もが一度はいけるのだから。

8月が終わる。
この夏が行く。
そして人生の新しい出発を、多くの方が迎える。
みんな生きているんだ。
思ったようにやればいいよ。
自由より自在。
誰かが言ってた。
いい言葉だな。
正解なんか、わかりません。

墓場まで・・・・

お人に言うことができないことって
どなたの人生でもあります。
それからどんな家庭にもあるのでしょうか。
誰にも言えずに墓場まで持って行きたい。

でもそんなことがあるって言えただけで
大きな曇りは消えて行くようです。

決してひとつにはならない融合

‪絶対的な孤独 つまり相手や皆んながいないことではない孤独 と 絶対的な歓喜 これも相手や皆とは関係のないもの凄い喜び これらを知っているものでも 集い語り合い 食事をし 男女の融合をしたりして 虚しさからか まぎらわす。 だが決して精神の融合は得られない。‬

随想 伊路波村から103〜スエさん

「スエさん、死んじゃったよーーー!」といってボロボロ涙を
こぼす父。

「俺がかわりに行けばよかったんだわ。」
しゃくりあげている。

「めずらしいね。」といって家内と顔を見合す。
10月1日、土曜日に帰宅直後の出来事。

スエさんは、町内のステーキハウスの社長さん。
年はたしか75歳にはまだ1-2歳あったと思う。
急な報せにちょっとビックリ。

スエさんの奥さんの方が、病気がちで、
スエさんは看病もっぱらの日々。
とても陽気で、町内でも人気者だったから。

末夫さんが本名だったから、スエという名の店に
したのだろうか。

いつも黒塗りの乗用車がズラッと駐車場にあって、
私たちにはすこし敷居が高い店。

ボーンステーキは一回は食べるといいなあと思う。
12000円するから4人くらいで、すこしずつ。
おいしすぎる特選の松阪牛。

スエさんには特技があった。
裃(かみしも)を着て、ちょんまげを結って、
口上をいいながら、もちつきをするのだ。

その口上がちょっとエッチで、観衆には大うけ。
だから若いころには、全国のホテルや結婚式に呼ばれていった。
ステーキ屋さんよりも多く出向いた年もあったとか。

こちらが40代のはじめ頃までは、なるべく町内のことには
タッチしたくなかったし、時間的にできなかった。
PTAの関係や町内にある山車の縁で、
どうしても町内の行事にタッチせざるを得なくなった。
そして、スエさんを知った。
スエさんはきっと末っ子。
田舎から出てきて、一代で素敵な、有名なステーキ屋さんを
築いた。

ちょうどスエさんを知った年くらいから、
町内の白龍神社さんでスエさんが大晦日の
餅つきイベントをするようになったのだ。
息が詰まるような町内の常会でも、
スエさんのおかしいような一言で、
みんながゆるんだ。

本音の人。
スエさんがいたからこそ、
町内のことにタッチしてもいいなって思ったんだから。

父は84歳。
スエさんのあまりに若い、急な死に、思わず
「ワシが逝けばよかったんだ。」って言葉が
でたんだろう。

昨日2日は告別式。
父と家内と3人で参列。
式場に入るとなんだか、もういけない。

車椅子のおくさんに挨拶する。
なみだがボロボロ出てくる。

蝶ネクタイのスエさんが喜んでいる。
「あんたの嫁はん、うちのと一緒の名前やからな。
なんだか他人には思えんで。」

美佐子さんは、いつものように微笑みを絶やさない。
さすがはスエさんの嫁はんや。

しっかりやるでスエさん!!
ありがとうスエさん!!

随想 伊路波村から104〜母は神様

母は神様

日曜日。
師崎の朝市の場所で夕暮れ時に
バーベキュー。
火をおこし、食材を整える。、
朝から釣りにでて、成果をいっぱい抱えた
男たちのほこらしそうな顔に
さばかれる大量のサバ。
そのサバに無心にカレー粉と小麦粉を
まぶす若いお母さん。

娘さんたちに、「お母さんって。焼きそば
すごく上手なのよ。!!」って
はやされて、やっぱりやってしまう同じお母さん。
語らずに動く女性は、それだけで神様。
男は飲むだけだ。(笑)

月曜日。
海の日の結婚式。
出会って半年で結婚。
姉さん女房は、伊勢神宮の元宮司さんの娘さん。
会社の元同僚だった彼女のお母さんが
真っ先に式場で近寄ってみえた。
「よかったですね。」
そういうのが精一杯。

世界のあちらこちらを自由に旅する女性。
お父さんのところに、時々届くたよりには。
海外のどこかに住んでいることを告げているだけ。
「96歳になる伊勢のおばあさんの容態が
いつ変わるかもしれないので、先方さんに
ご無理言って結婚式を早めていただきました。」
と、おとうさん。

会社を去る娘さんの荷物を引き取りにみえた日、
こちらの自宅にご挨拶にみえたごようす。

車越しにはるかにすれ違ったお父さんに心で手をあわせました。
ありがとうございます。

結婚式で娘さんを思いながらも、多くを語らぬ父親。
式の最後、ご両親への感謝の言葉は、もっぱらお母さんへ。

「小さいころ、ちっとも言うこと聞かない子で、
遅くなっても帰ってこない私を探しに来てくれて、
遊び場にいることを確かめたら、黙って去って、そっとしておいて
くださったお母さん。あとでそのこと知りました。」

母親は神様です。

随想 伊路波村から105〜人の役に立って旅立つ人

17年前、テナントビルを建てる事を決意した。

都会名古屋のオフィス街。
住む人々は都会を離れ、町内の少子高齢化は
一段と進んでいた。

なるべく長く、親族が争わないように、そして都会の土地が
多くの人々に利用されるようにとの願いを込めた。
そして17年が経過し、その願いどおり多くの方が毎日
ビルに足を踏み入れるようになった。

一階正面から上り階段で入れる2階には、
当初電力系のポケベルの会社が入居した。

そのご縁で会社の新しい事業として、移動体通信を
取り扱うようになっていった。
情報の世界へ足を踏み入れる
きっかけとなったのだ。

全国でも次第に増えていった電力系のポケベルは
NTTのそれより値打ちで人気も増していった。

販売の営業にはさまざまな職種の方が
新しい事業と位置付けて参入してきた。

私たちとともに販売に携わった人に、縁戚にあたるMさんがいた。
彼は自動車の修理工場の経営者。
いつも会社を訪れるときには、その弁舌の爽やかさ、
持って生まれた営業の才覚は修理工場の経営者より
優れていると思えたから、
代理店をお願いすると快く引き受けてくださった。

かれはやはり思ったとうり、新しい事業にとても力を入れた。
そしてポケベル獲得数はこちらよりもはるかに多かった。

だが時折見せる体の不調なようすを隠す事はできなかった。
修理工場を訪ねたある日、私は奥様にそれとなく
たずねてみた。
奥さまはしばらくおしだまったあと、こういった。
「主人はほんとはガンなんです。白血病です。」

なんとなくの予感はあたった。
それでも彼は余命がほとんどないといわれていたにも
かかわらず、新しい仕事にいのちをもやし、
体調が回復し随分元気になられて、5年がたった。

その間に土地をてあてし、マンションも建設する。
自らも住むマンションもでき、嬉しそうにそのことを語ってくれた。
もちろんマンションの建設業者はポケベルの一番の需要家になる。

そんなある日奥さまから入院の知らせ。
白血病の悪化。
お見舞いの日、部屋に入りつとめて明るく話すこちらの目をみる
こともできず、無念さにだろうか、背をむけて恥ずかしがった。

それからおよそ10日後彼は逝った。
思い出多い修理工場で行われた葬儀に参列。
奥様は気丈に話かけられた。

「うちのひと ほんとにい仕事ができてよかった。
ポケべルでみんなによろこんでもらって、
寿命が5年ものびたよっていってました。」

とボロボロ泣きながら。

ビル建設から18年目を迎えた今年、
今はポケベルの会社はなく、その部屋には美容室が入居している。
上弦のおぼろ月がビルを照らしている。
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そしてその15年後の今日 会社の本社となったのです。