随想 伊路波村から15~夢

山奥の細い道を誰かに載せていただいて、
乗用車が走る。

到着した作業現場にいる
以前からの顔見知りさんにご挨拶。
明日からここで働くんだ。

土木工事の作業現場宿舎で少ない荷を解く。
その日は眠ってしまった。

朝がきて、バイクに乗って高速道路の現場の
工事状況を視察する。

隣の工区との境も過ぎて、いつしか
道路の工事区間をも離れ、山奥の
大きな川の分岐点に座って、川の流れを眺めている。
「また働くんだ・・・ここで。」
となんだか憂鬱な気分。

帰り道、土を運ぶトラックやショベルカーと
なんども行き交う。

そしてショベルカーが土をトラックに積み込んでいる
場所で、ぼんやりとその光景を眺めている。
「みんなどうしているんだろう・・・・・・。」
と思う。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
学校から通知が来た。
もう一年大学に通わなくてはならない。

それも働きながら。
落とした単位を取得するために。

学校への長い坂道を歩く。
事務室で手続きを済ませ。

何をいつ受講すればいいのかを聞く。
初の受講日が来た。
教室を必死で捜すのだが見つからない。
空ける部屋、空ける部屋、知らない人と
先生ばかり。

なんだかイヤになって、受講をあきらめる。
そして結局、一年間一度も受講しなかった。
それでももう学校からは通知が
こなくなった。

「ああもう勉強しなくていいんだ。」

物凄く大きな安心感が体中を包む。

幾度も見た夢のお話。(笑)

天音天画 20200503

EPSON MFP image
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歴程:通ってきた道すじ

歴運:めぎりあわせ 運命 天運

龍骨:船体の最低部の注意sンにあり 船首と船尾をつなぐ背骨の
   様に重要な材

はなの いのち きのいのち にほんの てんめひ

げんしゅの いのち おおきみの おやく すいこふ
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随想 伊路波村から16~お年寄り

おばあちゃんからお手紙をもらった。
おじいちゃんが、長生きした生存お見舞金として、
保険会社からいただいたお金を、
家族6人に平等にわけてくださった。

その中におじいちゃんの言葉をおばあちゃんが代筆した
手紙が入っていた。

86歳になったおじいちゃんはすこしボケている。
だけども、もともと若い時からボケてるので、
そんなにもボケてるなんて感じない。(笑)

むしろおもしろいので、子供たちのウケがいい。

「・・・・・・・・・・、一人では何もできない私ですが、
米寿の年の祝まで、元気でいたいと思っています。
一寸ボケが始まって来ていますが、迷惑をかけない様
頑張りますので見守ってください。・・・・・・。」

お年寄りは何より家族に迷惑をかけることを
心苦しく思うのだろうか。

そして続く、「何よりも体を丈夫にして、
世話をかけない様気を付けますから、
今後ともよろしくお願いします。」

おじいちゃんとおばあちゃんがただ
生きているだけで嬉しいのに。

自分も行く道・・・・・・・。

随想 伊路波村から17~意識の波

意識の波はエネルギーだから、
他のものや人に物凄い影響を与える。

怒りまくる人のそばには
誰も寄り付かないし、
そわそわと忙しい人のそばも同様。

悲しみが深かったり、不安が強かったり、
なんでもしっかり完璧にしなくてはと
思ったりすると、これまたエネルギーが強い。

安心のエネルギーはなにかというと、
何にも思っていないことで、目の前に
起きることをそのまま処理することだ。

それもただ感謝でできたら、方向がない。
そんなにできたら99%の人生。
あと1%はあちらへ行ってから。(笑)

南無とはありがとう、こんにちはの「ナマステ」の
ようなことばで、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏さんへの
挨拶と友人の僧が言う。

よくできても99%だけれど、そこまでいたる人はまれ。

だから少しでもできるように、また生き方を
忘れないようにと「南無阿弥陀仏」だよと
親鸞さんは説いた。

その僧侶の友人から届いた、彼の随筆が数枚ある。
今朝、目を通させていただいた。

何故かこの場所で、はるかな居多ケ浜が思われる。

「親鸞聖人の流罪地を訪ねて」

平成18年11月26日(日)夜10時、私と妻は、
自家用ワゴン車で出発した。
聖人の京都から越後(新潟県)への足跡に少しでも触れる思いで、
北陸自動車道を走行した。

途中、車内で寝袋に入って寝、27日(月)午後1時に上越市
(旧、高田市・直江津市)
に入った。

「聖人は、北陸道親不知を歩いて越えられ、糸魚川の東の
小野浦(現、木浦)から乗船し、3月28日に郷津の東の赤岩に着岸し、
居多ケ浜より上陸された。」という。

 上陸地の「居多ケ浜記念堂」、最初の立ち寄り先の「居多神社」、
初めての庵である竹の内草庵があった「国分寺」、次の庵である
竹の前(たけがはな)草庵があった「本願寺派国府別院」、
土地の弟子が開基である「光源寺」を視察し、親不知にて
宿泊し、翌29日は厳冬間近の「親不知、子不知」の海岸を体感し、
聖人の関東への足跡を思い、長野自動車道を走行して、
夜8時に帰名した。

50程のトンネルを抜ける行程であった。
・・・・・・・後略・・・・・・・・
親鸞聖人の流罪から800年、
上越は幾度もの地震にゆれている。

「南無阿弥陀仏」

居多ケ浜を歩む親鸞聖人の後姿が見えてくる。

随想 伊路波村から18~ありがとう

突然の訃報に 驚いてから
もう一ヶ月が過ぎて
あなた様を偲ぶ集いが開かれました。

その日は 朝から あなた様の喜びや
感謝の思いが こちらのこころに
届くのか こちらの目を借りて
ウルウル涙ぐんでいました。

決して 悲しくはない涙です。
只今の一度だけではないことを
誰よりも知る あなた様や あなた様の友人知人たちの
集まりは あの政木先生の集いとかわらぬ
やさしさに溢れていました。

残されたご家族は きっとあなた様と会ったのだから
力強く生き抜いていかれることと思います。

どうぞ 安らかに・・・ありがとう。

随想 伊路波村から20~大空

大空に 長い時間 大日輪。

それは ささやき 行動の喜びを
共有するかのよう。

うっすらと 富士は ベールのような オーラを放つ。

本体は何かを常に語り続ける 体験というもの。

だが 人は現実に負けそうになる。
そして忘れてしまう。

確かに 君は僕だって事を。

いつだって 離れていることなどないのに。
忘れてしまうのだ。

もっともっと 僕はみんなだってことを
忘れてしまうんだ。

そして 遊ぶこの空間。

以前のもの 由来のもの 不明のもの。

人間の由来 描いたとおりのことで
瞬間を まわりつづけている。

独楽のように。

天の駒のように。