神の使者から奇跡の道へ その44~実相世界とは、この世界の唯一の目的は・・

「実相世界とは、この世界の唯一の目的は
赦しだと見られている心の状態である」

何のために世界はあるのでしょうか。

その世界の目的は「赦し」とは
どのようなことなんでしょうか。

赦しとは、癒しであり救済とあります。
癒しというとすぐに肉体の?心の?と
疑問です。
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神の使者から奇跡の道へ その45~あなたがそれを不当な贈り物とみなしている・・・

「あなたがそれを不当な贈り物とみなしている
間は、それはあなたが「赦そう」としている
罪悪を支持するものとならざるを得ない。
正当でない赦しは攻撃である」

ようするに「赦したるわーー」とやけになって
いること。?
赦したるわーー(名古屋弁)は不当だなって
心の中に残っていることですね。
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「現成公案2」2021.3.8  自分で自分を自分する

http://tenmei999.blogspot.com/2021/03/2264202138.html

アメーバ式生活法

(本文)

これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究盡(きうじん)と同生し、同参するゆゑにしかあるなり。得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。

(講義)

『これにところあり、みち通達せる』というのは、いのちが『行』と『法』というあり方を実現している時ということです。つまり、おシャカさまのように人生を歩めている時、ということです。

その時、その人にはどんな風景が立ち現われているのか。パーッと視界が広がって、何もかも見通しになって、計算通り行動できるようになるのでしょうか。道元さんはそうならないとおっしゃるわけです。

『しらるるきはのしるからざる』ようになると書いておられます。これは、『知らるる極きわの著しるからざる(ハッキリしない)』という意味で、つまり、何にも分からん、何にも見えない、聞こえない、ただ次々やってくる出会いに反応しているだけだというのです。

ここを、私は『アメーバ式生活法』と名づけています。アメーバには眼もないし、耳もないし、頭もありませんね。ただ触覚だけがあって、体に触れてきたものに対して反応して生きてゆくだけですね。

つまり、『法』と『行』になり切れるようになれば、頭や眼や耳をフル回転させて、すべてをまず見通せるようになって、パチパチそろばんをはじいてから行動を決定する、なんていう必要はなくなるのです。

ただ、わがいのちに触れてきたモノゴトだけを処理してゆけばいいんですね。
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「今回の大統領選挙に纏わる妙なこと」奥の院通信 R3 3/8

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-500.html

今回の大統領選挙以降、ディープステートとアメリカ国民のバトルが続いている。一説では昨年12月にその勝負は付いた、ディープステートが負けたと言われているが、まだ続いているようである。それに関連した妙な出来事が起きている。

 トランプ前大統領は大統領退任後CPAC(保守政治行動会議)で初めての演説を行った。ところがこのトランプの演説はすぐに削除された。3000万人の人が聴取しているというのに、この情報が削除されているのである。トランプ前大統領は、彼に対する弾劾裁判も無罪と言うことで終結し、既に一般市民の立場にあるにも拘わらず、彼に対する監視が続いているのである。

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「現成公案1」自分で自分を自分する 

http://tenmei999.blogspot.com/2021/03/2263202137.html

今回は立花大敬さんのしあわせ通信238号『現成公案』読解(13)を2回に分けて紹介します。

引き摺り女・腰かけ男

(本文)

このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるゆゑにかくのごとくあるなり。

(講義)

『このみち、このところ』とは、『あなたが今いる場所、あなたが今、歩いている人生の道は』ということです。

その道、その処は、他の人の処、道と比べてどうこう(大であるとか、小であるとか)いうものではない。それはあなたにしか居れない、あなたにしか歩めない、あなただけの絶対の処であり、あなたにとって最善、最上の道なんだから、というのが、『大にあらず、小にあらず』です。人と自分の比較ではないんだよというのが、『自にあらず他にあらず』ですね。

人によっては、私が今、こんなみじめな処にいるのは、過去にああいう事があって、あの人のせいなんだと過去の出来事をいつまでもひきずって歩く、“引き摺り女”さんがいらっしゃいますね。

また、オレの夢はこんなで、現在の自分の仕事はそれに到るための単なる腰かけなんだと思っている“腰かけ男”さんもいらっしゃることでしょう。

でも、本当は、今・ココで私が私しているという、そんないのちの実物だけがあるのですね。その今・ココのありのままのいのちの現実こそが絶対で最上、最高なんだと気付かねばなりません。それが、『さき(過去のこと)よりあるにあらず』なのです。
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