2562「おかげさま」2021.12.30 自分で自分を自分するから

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 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月25日の記事を紹介します。

「おかげさま」

今日も心のお話です。

私たちの心は強力で、広大です。

見える世界、見えない世界を包み込んでいます。

例え、神様・仏様、能力者の方が一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても

私たちの心が変わらなければ

またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。

それに引き換え、

心の中に感謝の気持ちを持つことができれば

私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。

空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。

さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。

謙虚で優しい気持ちです。

前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。

<引用開始>

小さなお子さんの手を引いて、

一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

暑い夏の昼下がりのことでした。

お母さまは坊やに向かって、

「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。

ありがとうと言いましょうね」

と話してやりました。

やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」

と言ったというのです。

同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

最初の母親は、この日、子どもの心に

労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。

二番目の母親は、

(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、

恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。

会話以上に大切なのは、

どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、

まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、

いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、

「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

遅刻して教室に入ってきた学生が、

授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、

「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、

「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。

いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。

何のおかげでも良いのです。

この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、

たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、

何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、

不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、

「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、

ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

<引用終了>

子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。

そう渡辺さんは仰います。

このたとえ話では、親の価値観が、子どもの価値観を作る・・

ということが良く描かれています。

私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。

そして、ものすごい早さで吸収していきます。

親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、

「お手本」になるために、少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。